今日の親子体操で思い出したこと [碧の使い手までの道]
今日はちびの幼稚園の体操クラブで親子体操第二弾がありました。
丸めた新聞紙2本を使って、飛ぶ、立てる、投げる、ひっぱる、たたく、踏んづける・・・
とぼろぼろになるまで使い果たしました(笑)
子供達は大喜びで、ママ達も大ハッスルで
わざわざみんなを喜ばせるために競い合ってがんばってくれるママもいて
本当に楽しい時間でした
(今回は筋肉痛は免れたかなぁ)
私が子供の時には母が仕事を持っていたために
保育園や学校関係の行事には一度も出てもらったことがありませんでした。
入学式は一回り年上の従姉が参加し、遠足は家政婦さんと一緒だったり、
運動会には大して年が違わない近所の従姉が参加してくれたりというのが
写真を見て思い返すところです。
(保育園の小さい時の写真には手をつないでいるこのおばちゃんは誰だろう?というのさえありました。)
小学校の卒業式と中学の入学式だけは父が参列してくれました。
その頃私の周りでは父親が参加するケースは少なくて
しかも父はアーティストでしたから個性的な外見で、
長髪に口ひげだし、ちょっと日本人離れした顔立ちだったのでどうしても目だってしまいました。
私はご機嫌でしたが、父は恥ずかしがり屋で人前を嫌う人だったので
よく参加してくれたものだと今は思います。
ちなみに保育園は先生の理不尽な苛めに文句をつけやめてしまいました(笑)
たぶん4歳ぐらいだったかと思いますが、あまりに私の意見が正当であり
的を得ていたそうで・・・先生は馬鹿だからもう辞めます・・・と
最後に言い放った私に対して父はよく言えたとほめてさえくれました。
(父も変人ですので:笑)
とにかく私は母の美容師という仕事が、
人が休んでるとき、お出かけする時こそ働くというので大嫌いでした。
母を恨んだりしたことはありませんが、
卒業式ですら母は卒業式に参列するための他のおかあさんの
髪をセットして、着付けをしていたので、
私は絶対に美容師になんかなるもんか!!と子供心に思ったものです。
やっぱり子供心としては、みんながママといる時に
自分だけ一緒にいられないというのはとても寂しいことでした。
今、私は母になり、といってもかなり適当な母さんですが(笑)
学校などの行事だけは最優先にしています。
私の妹は完全に子供中心の生活を送っているので
子供のときには母に対して感謝をしてこそ誰も口に出来なかったけれども、
とても寂しかったのだろうと思いました。
その母は先日ジョン先生の占星術の本を読んでいたとき
内心を言い当てた言葉に・・・
確かに私は子供達を抱きしめることさえ出来なかった・・・とぼそりと言いました。
今でも母は不器用なところがあります。
口は悪いし、自分勝手だし・・・
それでもそれは母の心の中の全てではありません。
私はそばでずっと見てきて、母ほど懐の深い人間を見たことがありません。
口が悪いのでそれを知る人は少ないのだけれども
母ほど慈悲深い人も見たことがない。
商売人なので損得勘定も出来ないと困るのに
ほとんどの場合は損としか見えないことばかりのボランティアに見えます。
多くの人にただ利用されても、全然へっちゃらで(口は悪い・・・)
子供よりも社会への貢献を常に最優先としていました。
自分の子供よりも、よその子供、スタッフを常に優先させていました。
母にしてみれば、自分がよその子を親身に面倒見るように
よその人が自分の子供にも手を差し伸べてくれるだろうと思っていたそうです。
私がバツイチになりぼろぼろになって戻ってきた後
母がかわいがって育てたスタッフ達の脅威=私の存在という図式を彼らが描き
更に私を邪魔にするようなことが起こった時に、
母は「思い違いだった・・・自分の子は自分が守らないとならない」と私に言いました。
私はその一言でその時の周りとの緊張した関係、私にとっても脅威であった相手を
許すことができました。
その後も、結局母のスタンスは変わりませんでしたが、
私はそんな母の背中を見て育ち、普通の母さんと娘以上に多くを学ぶ機会を与えられたことに
今はとても感謝をしています。
母はスピリチュアルといわれる本を読むわけでもなく、
そういうテレビを見ることもありません。
それでも母は自分が与えたものは他から帰ってくることを知っています。
母がみんなにぶどうを手渡しつづけ、母が思うようには
私の手にすぐにぶどうは届きませんでしたが、
私はたくさんの気づきと学びの機会を与えられたことで
私の心に植えられたぶどうの木には今たくさんのぶどうがなっています。
私が母を越えることは出来ないかもしれませんが、
私の子供達は軽々と私を越えて、そして母と並んで欲しいなぁと
今改めて思いました。
すでに私の母を知ってる人は
どれだけぶっ飛んでいるかはご存知かと思いますけれども(笑)
相変わらず私の文章は長いですね
分割して書けってよく言われるんだけど、
書き出したら一気に書かないと気がすまないもんですみません。
ここまで読んでくださってありがとうございました
ついでと言ってはなんですが・・・上の画像をクリックして応援してください
丸めた新聞紙2本を使って、飛ぶ、立てる、投げる、ひっぱる、たたく、踏んづける・・・
とぼろぼろになるまで使い果たしました(笑)
子供達は大喜びで、ママ達も大ハッスルで
わざわざみんなを喜ばせるために競い合ってがんばってくれるママもいて
本当に楽しい時間でした
(今回は筋肉痛は免れたかなぁ)
私が子供の時には母が仕事を持っていたために
保育園や学校関係の行事には一度も出てもらったことがありませんでした。
入学式は一回り年上の従姉が参加し、遠足は家政婦さんと一緒だったり、
運動会には大して年が違わない近所の従姉が参加してくれたりというのが
写真を見て思い返すところです。
(保育園の小さい時の写真には手をつないでいるこのおばちゃんは誰だろう?というのさえありました。)
小学校の卒業式と中学の入学式だけは父が参列してくれました。
その頃私の周りでは父親が参加するケースは少なくて
しかも父はアーティストでしたから個性的な外見で、
長髪に口ひげだし、ちょっと日本人離れした顔立ちだったのでどうしても目だってしまいました。
私はご機嫌でしたが、父は恥ずかしがり屋で人前を嫌う人だったので
よく参加してくれたものだと今は思います。
ちなみに保育園は先生の理不尽な苛めに文句をつけやめてしまいました(笑)
たぶん4歳ぐらいだったかと思いますが、あまりに私の意見が正当であり
的を得ていたそうで・・・先生は馬鹿だからもう辞めます・・・と
最後に言い放った私に対して父はよく言えたとほめてさえくれました。
(父も変人ですので:笑)
とにかく私は母の美容師という仕事が、
人が休んでるとき、お出かけする時こそ働くというので大嫌いでした。
母を恨んだりしたことはありませんが、
卒業式ですら母は卒業式に参列するための他のおかあさんの
髪をセットして、着付けをしていたので、
私は絶対に美容師になんかなるもんか!!と子供心に思ったものです。
やっぱり子供心としては、みんながママといる時に
自分だけ一緒にいられないというのはとても寂しいことでした。
今、私は母になり、といってもかなり適当な母さんですが(笑)
学校などの行事だけは最優先にしています。
私の妹は完全に子供中心の生活を送っているので
子供のときには母に対して感謝をしてこそ誰も口に出来なかったけれども、
とても寂しかったのだろうと思いました。
その母は先日ジョン先生の占星術の本を読んでいたとき
内心を言い当てた言葉に・・・
確かに私は子供達を抱きしめることさえ出来なかった・・・とぼそりと言いました。
今でも母は不器用なところがあります。
口は悪いし、自分勝手だし・・・
それでもそれは母の心の中の全てではありません。
私はそばでずっと見てきて、母ほど懐の深い人間を見たことがありません。
口が悪いのでそれを知る人は少ないのだけれども
母ほど慈悲深い人も見たことがない。
商売人なので損得勘定も出来ないと困るのに
ほとんどの場合は損としか見えないことばかりのボランティアに見えます。
多くの人にただ利用されても、全然へっちゃらで(口は悪い・・・)
子供よりも社会への貢献を常に最優先としていました。
自分の子供よりも、よその子供、スタッフを常に優先させていました。
母にしてみれば、自分がよその子を親身に面倒見るように
よその人が自分の子供にも手を差し伸べてくれるだろうと思っていたそうです。
私がバツイチになりぼろぼろになって戻ってきた後
母がかわいがって育てたスタッフ達の脅威=私の存在という図式を彼らが描き
更に私を邪魔にするようなことが起こった時に、
母は「思い違いだった・・・自分の子は自分が守らないとならない」と私に言いました。
私はその一言でその時の周りとの緊張した関係、私にとっても脅威であった相手を
許すことができました。
その後も、結局母のスタンスは変わりませんでしたが、
私はそんな母の背中を見て育ち、普通の母さんと娘以上に多くを学ぶ機会を与えられたことに
今はとても感謝をしています。
母はスピリチュアルといわれる本を読むわけでもなく、
そういうテレビを見ることもありません。
それでも母は自分が与えたものは他から帰ってくることを知っています。
母がみんなにぶどうを手渡しつづけ、母が思うようには
私の手にすぐにぶどうは届きませんでしたが、
私はたくさんの気づきと学びの機会を与えられたことで
私の心に植えられたぶどうの木には今たくさんのぶどうがなっています。
私が母を越えることは出来ないかもしれませんが、
私の子供達は軽々と私を越えて、そして母と並んで欲しいなぁと
今改めて思いました。
すでに私の母を知ってる人は
どれだけぶっ飛んでいるかはご存知かと思いますけれども(笑)
相変わらず私の文章は長いですね
分割して書けってよく言われるんだけど、
書き出したら一気に書かないと気がすまないもんですみません。
ここまで読んでくださってありがとうございました
ついでと言ってはなんですが・・・上の画像をクリックして応援してください
2010-02-19 22:59
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