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碧の使い手南海の衝撃の事実!? [碧の使い手までの道]

日々パワーアップしている碧の使い手南海ちゃんと、
そのグループOver the moon。
それは、春分の直前のこの一言から。。。

3次元での活動をもっともっとやって下さい。
もっと教えると言うことをやって下さい。

と、七空さんを通してのチャネリングセッションで宇宙にせっつかれてしまった。
(実際の所、3次元というのも今となっては微妙だけれども、
今ここという意味での3次元のことである。)
そのセッションでの会話は、証人である七空さんとともに、
宇宙への宣言にそのまま繋がっていたから、
おかげさまで、その後の3次元は、
周りを巻き込みながらも動きに動きまくっている。

HPのドメイン変更、リニューアルも少しずつ進んでいて
先日はプロフィールの書き直しも行った。
そのプロフィールには、
みなさんの知らない『碧の使い手南海の衝撃の事実!?』
も書き加えられているかもしれない(笑)
どうぞHPをお気に入り登録していただいてから(笑)
是非プロフィールもリンクしましたので読み直して下さいね。

現在は、メルマガも制作準備が着々と進んでおります。
また、魂のアルケミースクールの詳細も決定しましたので
そちらももうすぐ発表になります。
是非お楽しみにして下さい。

いつもありがとうございます。


碧の使い手は宇宙の秘密 [碧の使い手までの道]

「碧の使い手までの道」という大げさなタイトルをつけたものの、
人にとっては、どうでもいいような
身の上話を書き連ねていたね[ふらふら]
だから久々に、碧の使い手について触れてみようと思う。


碧の使い手が何者なのか。。。
実際の所、未だに詳細は不明。

過去には「私は碧の使い手を知っている」と言って、
いきなりメールをくれた不思議な?
見ず知らずの人も数人居たが、
最近は、そんな面白いこともなくなってきた(笑)

代わりと言っちゃなんだか、
時折、友人であるチャネラーが面白いメッセージを運んでくれる。
彼女はプロであり、本物のメッセンジャーだから、
聞いてもなくても、いや、全然聞く気がないからって、
宇宙が碧の使い手宛のメッセージを勝手に彼女に託してしまう(笑)
そのメッセージは驚くほどの絶妙なタイミングでやってくるから
顔が引きつりながらも、素直に聞くしかないのだ。
きっと、これも私が使命を忘れ去らないようにとの
宇宙の計らいだと思ってる。
彼女に取っては、迷惑かもしれないのだけど。

一般的な宇宙のルールで言えば、
勝手な介入も、聞いてもないことに答えてくるのも、
ルール違反だ。
でもこの場合は、個人的なメッセージではない。
私が気づかないなら仕方がないのだ。
碧の使い手は、私を超えたところでのお仕事も行っているから。
(私自身も知っておく必要があることもある時だけ)
もちろん、その彼女も、同じ管轄区のプロへのメッセンジャーのお仕事は
完全なる宇宙の秩序の中で行われるもので、
彼女のお仕事は3次元的には無償で、宇宙貯金で賄われていて、
そのメッセージの愛と光の純粋さには常に感謝している。

しかしそのメッセージを聞いていると、
謙虚な「オレ様」は恥ずかしくなる[モバQ]
碧の使い手が、常に高次のマスターとして語られるからだ。

「私じゃないのよ、私じゃない。
私の魂がってことだ。」

そう思っていないと、バカになりそうだ[爆弾]
私の光の側面とでも言えばいいのか、
私の中の高次のバイブレーションとでも言えばいいのか。
私のモナド。。。ハイアーセルフ。。。
多分それが碧の使い手なんだと思う。

碧の使い手は宇宙の秘密[三日月]

もう7年ぐらい前、七空チャネによって解禁されたものの、
この3次元では語られることのない存在。
私が使命に背を向けて逃げ出さないようにと、
宇宙が私に返してくれた私の名前。
今でも、小出し、小出しでメッセージが送られてくる。
そのパズルの一コマ、一コマが、
かちりとはまる瞬間、私は大きく身震いする。
この世界って面白すぎる[exclamation×2]
宇宙は神だ[exclamation×2]
私は私の世界の中心。
私の周りで世界がまわる。。。

それは、あなたにとっても同じ事。
あなたの世界は、あなたを中心にまわっているんだよ。

さぁlove&joyをご一緒に[揺れるハート]

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いつもありがとうございます。


別れの序章 [碧の使い手までの道]

時系列的にいえば、スポンジのように~そしてサイキックは不幸なんだと思った日・・・の続きに入る。
思い出をたどっていく途中で「そのときどうなったの??」と
突っ込む人がいてくれない場合、こうして多くの話は吹っ飛ぶもんだ(笑)
ま、全てを詳細に語ろうとすれば、かかっただけと同じ時間が必要になるだろうし、
そうなったら、今から40年は付き合ってもらわないとならない(爆)
思い出した順に書いているから、時間の流れが行ったり来たりしているけど
そこまで細かく私のことを知りたがる人もいないだろうし、
前後関係は推測しつつ、読みつなげてください。
シンガポールのお話も全部は完了していないけど、
私が今生作ったカルマがあるなら?と考えたとき
一番に浮かんだのは彼のことだったし、
今回のお話にも繋がる大きな流れの中で気づきのきっかけにも繋がる
出来事であったため書き出している。
そのうちこちらのお話も完結するだろう。

あんたにはプライベートっていうもんはないのかい??

と突っ込まれそうだけど、私自身が今思いつく中で、
人に言えないほどの大きな秘密はない。
どんな困ったことでも、どんなに馬鹿らしいことでも
ちょっと恥ずかしいことでも、私は私を受け入れている。
今の私を作って来た全ての出来事と、その関係者に感謝しつつ、
この短い一生の間では多くの経験は出来ない全ての人に(私もそうですが)
そんなこともあるんだネ!?と
共感することや、反発することによって
何かを感じてもらう機会になることを願って・・・


☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~☆


Yちゃんが神戸に帰ってしまい、みんなが散り散りになってしまった。
私はというと、シンガポールから戻ってからというもの、
半ばぼんやりし、当時の旦那の行動が常に許せ無くなりつつあった。
彼の友人が九州から二人遊びに来て、
彼はその友人を見栄をはって接待し、
帰った翌月のカードの請求を目にした私はめまいがした。
すでに何も手元に残ってないのに借金1000万円超え。
自転車操業のような借金返済に追われているというのに、
たった二日間の友人の滞在に20万以上もかける馬鹿がどこにいる??

あのさ・・・どうするつもり?

だってもうすぐ南海ちゃんボーナス出るでしょう??

もう話しても無駄だと思った。
私は彼のお義母さんに電話をかけたが、借金1500万円近くもあるということは
とても口に出せなかった。
今度は私のボーナスを当てにして、なんで人を赤坂だとかのクラブで接待するの??

私は私のために働くことも許されないのか?
私は私のために使うことも許されないのか?
この人とこれ以上いると私は奴隷になる。
そうして私の感情は爆発した[どんっ(衝撃)]

その日の夜、私は神戸のYちゃんに電話をした。
もう我慢できない・・・
Yちゃんは「出て行くならいない間のほうが安全だよ。」と言った。
確かに、DVというわけではなかったけど
喧嘩で過去にブタバコ入りをするような男だったし、
包丁もって追いかけられて命からがら裸足で表まで逃げたこともある。
私は身の回りの品をちょうど出ていたスーツケースに詰め込んで
それから私のパパと兄弟と一緒に写した家族写真もスーツケースに入れた。
私はそれから喧嘩別れしたままの母に電話をした。
「家に帰りたい・・・」
多くを言わないまでも、母は事情を察すると妹をタクシーで迎えに行かせるから
マンションの前で待ちなさいと言った。
いつも母の懐の深さには感謝する。
(その後も母は全てが解決するまで私に一切の小言を言わなかったし、
何も質問もしなかった。全ては私を信じて、私が困ったことだけを手助けしてくれた。)

私は大急ぎで持てるだけの必要な荷物をバッグにも詰めて
妹と一緒に家に戻った。

もう一緒には暮らせないので、家に帰ります。
とだけ、書置きして。

そしてその後1週間、彼は何も言っても来なかったが、
さすがに私が戻らないことはポーズではないと思ったらしく、
その次の週からは毎日私の勤め先にやってきた。
寝ていないだろう顔でぼろぼろな様子だったけれども
私にはそんなものには流されないというだけの決心が固まっていた。

謝られても無駄。
もう二度と私の前に現われないで。

何度謝られても、一度決心してしまった女の心はそうそう変わらない。
切り捨てるときには容赦ないものだ。
私は意外なほどクールに彼に接していた。

もうこれ以上あなたのためには、もう何も我慢などしない。
信じることが出来なくなった以上、もう一緒にはいられない。
さようなら。


その時の私に、何がそこまで強さを与えていたのだろう?
そのお話はまたの機会に・・・

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観音の香り [碧の使い手までの道]

私は宗教という枠に属する修行は最も向いていないと思う。
だから宗教には属さないし、今後も属することは無いと思う。
しか~し、その宗教に属する物・・・
偶像は大好きだったりする。
まず、いつも言っているかもしれないけど
観音、ガネーシャ、それからキリストにマリア
天使のモチーフも大好き[揺れるハート]

その中でも今日は観音のエピソードを書きたいと思う。

このエピソードは何度も話しているし
聞いたことのある人も多いと思う。
過去に色々なところにも書いていると思うけれども
このブログではまだ書いていないみたい。
だから聞いたことのある人も、もう一度お付き合いしてね。

あれは数年前のこと、子供達のパパ(ex-husband)が新しい店のオープンのために
西安より観音像を持ち帰ったのが全てのはじまりだった。
それは高さ45センチぐらいの陶器製で、青っぽい色づけのされた
とてもきれいな顔をした観音像だった。
数日それは小さな部屋のベッドの上に鎮座していて、
その部屋の周りには甘い匂いが漂っていた。
私はその部屋に美味しいお土産も一緒に隠されているに違いないと思い
彼に詰め寄ったが、何一つとして美味しいものを出してはもらえなかったばかりか、
彼は言葉の意味すらわからない、と言った変な顔をしていた。

店の内装工事が終わったある日、その観音像を店に運ぶため私が運転をした。
途中で電気店により必要なものを購入した。
車に戻ると車内いっぱいに、またあの香しい、美味しい香りがしていた。
それはオレンジと桃などをあわせような甘い甘い香りで
似たような香りですぐに連想したのは「フルーツミックスガム」
私はほら~この匂いのものだよ・・・出してよと言うと、
彼はびっくりして[がく~(落胆した顔)]
それから自分のポケットの中からミントのガムをひとつ取り出すと手渡した。

だから、これじゃないって・・・[ふらふら]

[がく~(落胆した顔)]あなたが言ってたのはこの匂いのことだったの??

彼はチャイルドシートの上の観音像からシートベルトをはずすと
頭の上に掲げて、穴がないか覗き込んだ[目]
もちろん、そんなものはない[パンチ]
ふってみた・・・音もしない[がく~(落胆した顔)]
なんだこれ??
観音様がにおいするの???[どんっ(衝撃)]

ほら、やっぱり[ぴかぴか(新しい)]

さも初めから全てがわかってたかのような↑↓私の言葉。

観音様がここにいるって知らせてるんだよ[パンチ]


これは、エンパスを投げ捨てた後の、南海ちゃんのスピ冬眠期の出来事である。
そしてこのお話は「彼がその観音像を手に入れるまで」のエピソードに続く・・・・

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「碧の使い手までの道」は、
南海ちゃんがスピな世界に導かれて行くきっかけになった出来事や、
カルマ的な出来事、またその道中での気づきなどをつづった
南海ちゃんの魂の成長の物語です。
かなり正直に赤裸々告白は続いてますが、
この過去の経験なくして、碧の使い手は今生再生できなかった。
いつ南海ちゃんが碧の使い手として自覚するのか・・・まだまだそれは遠いお話。
のんびりと続きます・・・ありがとうございます[揺れるハート]





夢の中の犬 [碧の使い手までの道]

夢の中では言葉は入れ替わってしまったり、
それは、まるで駄洒落のような言葉になったり、
様々なものがシンボルなどに成り代わっていたりする。
だから小さな点まで注意が必要だ[目]

セルフエンライトメントのコースに通っているときには
夢をノートに書きつづっていたという事は以前にも書いたけれども、
その時のエリザベスがしてくれた夢解釈はとても面白いものだった[ぴかぴか(新しい)]



ある日の夢のこと、
私は円柱型の建物に出向いた。
ドアを開け中に入る。
先客は一人。私の友人だった。
そこは古い本屋さんか図書館のよう。
一番下の階まで吹き抜けになっていて
丸い壁に沿って本がぎっしりと入っているが
どれもとても古い本ばかり。
階下に迷わず向かうとオバサンが相手をしてくれた。
「今日はね、オジサンもいるんだよ。あの人は誰の相手もしないけど
今日はあなたと話してくれるって。よかったわね~」
そう言われて横を見ると、人のよさそうなオジサンが座っていた。
オジサンは私と友人に色々と話をしてくれた。

※目が覚めた時、話の内容は覚えていられなかったが、
深く納得し、とても感動したという感覚だけは失われていなかった。

そして帰りに、オジサンは私に古い一冊の本を手渡してくれた。
皮の表紙のとてもとても古い本。
タイトルも何語なのかもわからない。
そしてその本は何度も何度も多くの人が読み返したようで
ぶかぶかになって広がってしまっている。
閉じても厚さが15センチぐらいあり、実際の本の厚みの倍ぐらいに膨れていた。
私は歩きながらその本を両手で挟んでぎゅ~っと押しつぶした。
本は圧縮されると同時に新品に戻った。
そして私の手は、本から流れ出た液体でやけどした。
ふと前を見ると、きれいに丸く植えられた花壇のある小さな丸い広場に
犬用の水のみ場があった。
先客が居たが、私は事情を話して水のみ場をあけてもらって
手に水をかけた。
一瞬で痛みはひき、やけども後にならなかった。

と・・・ここで目覚めた。
この話をエリザベスにすすめられてクラスで発表することになった。
そしてみんなの前でエリザベス自ら解説をしてくれた。

まず、この時の丸い建物はどこにある?
この世のものではないよね。
これはマスターたちの世界のものでしょう。
そこでは3階下まで降りていって高いレベルのガイドに会いに行った。
あなたは色々とそこで学びを受けました。
それからあなたがもらった本。
それはもともとあなたの本だけど、
それはやけどをする危険もあるものだから、
気をつけて扱わないとならないもの。
でもあなたに返す時が来た。
心配しないで。あなたはもうそれを読んでもいい。
手でぎゅっとやって読めるように新しくなったでしょう?

そしてやけどしたあとどうしたの?
犬ってなに?DOG=GOD
神様用の水で手を洗ったから、やけどもなおった。
いい夢だったね~[わーい(嬉しい顔)]

そんなお話だったんだ[るんるん]

実際、今はその本が何の本だったのかも推測できるし、
その場所がどこだったのかも、そのおじさんが誰だったのかもわかる。
夢は意識しなければ、目覚めた後は何でもなく散ってしまう。
書き留めたところで、注意深く読み解かなければ、
メッセージに気づけなかったりする。

そしてつい先日、私は自分よりも大きな真っ白い犬二匹に
首筋というか、胸というかを差し出されてハグされていた(笑)
薄ピンクの地肌がすけて見える、真っ白な毛に覆われた
あったかい犬の体の体温の高さ。
そこに顔をうずめた感触は目覚めても残っていたんだ[いい気分(温泉)]

さてこの犬、犬族なのか、GODなのかは
夢の前後がまるっきり抜け落ちてしまったし、
もちろん定かではないが
とても優しく暖かかったといことで
私を幸せな気分にしてくれたのでこの際どちらでも良い。

こうしていつも楽しい瞬間、幸せな瞬間を
夢はつむぎつつ・・・
私は何もなければずっと夢うつつ。

(あ~ぁ↑仏道では寝すぎちゃいけないらしいよ:笑)

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~ねばならない、あれはだめ、これはだめ・・・
私には向いていないのが宗教。
楽しみながらだって、魂は成長できるはず。
それを伝えるのが私の魂の使命。
love&joyで行こうぜ~[手(チョキ)]

続:私の不思議の国 [碧の使い手までの道]

シンガポール3日目・・・
私達はたぶんフリータイムだったと思う。
店長と本社の女の子数人とロビーで待ち合わせをしていた。
シンガポールはすでに分煙が徹底していて
レストランもカフェも禁煙だった。
もちろんタバコのポイ捨ての罰金も高額だから
みんなでまるで一日分を一度に吸うかのごとく
せっせとロビーでタバコを吸っていた(笑)

ふと顔を上げると・・・なんと昨日の男の子が立っていて
私はまた息が止まった。
なんで??
実は彼は偶然なのか、なんなのか、
このホテルの従業員だったのだ。
私はあ~!!と声を上げて指をさした。
その前に彼は気づいていたようでこちらを見て笑っていた。

21時にホテルの入り口で待ってるから。

そうすれ違う振りをして私に言った。
私は「わからない。約束はできない」とだけ答えた。
それでも彼は「来るまで待っている」と言った。

私は友人達とチャイナタウンへそれからヒンズーの寺院へ
インド人街といろいろへ・・・
夜はみんなで食事に出かけた(と思う)

だんだん21時に近づき、店長が言った。
「ね~どうするの?」
私は本当に困っていた。
気になるものの、一人で行くのは本当に怖かった。
店長が言った。
「行かなかったら後悔するよね。でも心配だから一緒に行ってあげる。」と。
その時、彼女が天使のように見えたことは間違いない。

21時になりホテルの入り口に向かうことにした。
店長と一緒に。
3人で川べりを歩いた。
ここは思いっきりデートコースだろうと思う。
とてもきれいな場所だったし、夜なのにすご~く人が多かった。

シンガポールの英語はシングリッシュと言うらしい。
中国語が混ざっているんじゃないかとすら思うけど
実際はどうなんだろう?
キャンノーラ=can not に中国の了がついてるんだろうか?
バパックって何? Bird park
同じくカパック=car parkだもんね。
会話がどこまで通じてるんだろうか?という感じだけれども
言葉がなくても気の合う相手とは心が通じるもんだ。
3人でげらげら笑いながら時が過ぎた。
店長はしばらくして
「大丈夫そうだから私先に戻ってシャワーしてるから、あと1時間ぐらいで戻ってね。
それでも戻らなかったら誰かと捜索するからね!」と笑って言い残して
目の前のホテルに戻っていった。

彼はインド系の男の子だったけれども
中国人のおばあさんに育てられたという。
お母さんは彼の目の前で焼身自殺をして、彼はその日からゴミ箱のようなところで暮らした。
それを中国系のおばあさんが拾って育ててくれたのだそうだ。
(彼は中国語も話していたし、後から会ったお姉さんというのも中国人だった。)
私はとてもその生い立ちに同情した。
実際はどこまで真実だかもわからなかったし、もしかして私からお金をだまし取ろうとしているんだろうか?
と考えたりして、少しも不安がなかったわけではない。
でも彼は一円も要求することはなかったし、私を無理やり押し倒そうともしなかった(笑)

実はその頃の私は先にも書いているが一度目の結婚中だったのだ。
そのころの旦那と言えば、不倫相手を妊娠させ、田舎の実家の留守に連れ込み、
私の留守中に私の部屋にも連れ込み、ついでに見栄っ張りで金遣いが荒く
私名義の借金まで勝手に作り、何が手元にあるわけでもないのに1500万ほどの借金があったのだ。
だから私にはお金があるわけがなかった。
どんなに働いても、彼が作った借金に消えていくだけだったのだ。
しかも借金は増え続けていた。
私はそのことに困り果て、旦那のお母さんにも相談したが、
カードを取り上げればいいのに・・・
という安直な答えしか返ってこなかった。
私は旦那を叱るとか、なんとかして欲しかったのにだ。
さすがに1500万もあるという借金の正確な額は私からは言うことができなかったのだけど。
実際カードはとりあげても、紛失したといえば新しく職場に届けさせることができちゃうんだよね。
いたちごっこに過ぎなかった。

だからその頃の私は結婚を続けることは、
夢をそぎ落とされ続けることにしか思えなくなっていたんだ・・・

そしてシンガポールの彼、Rは出会った日にいきなりキスをしてきて
二日目には私を愛していると連呼した。
私はそれもとても信じられるものではなかったので笑って聞いていたら、
彼は真剣そのもので月に指をたて誓っていた。
私が信じると言って止めなかったら、
指を大きなブロックで潰す勢いだったのだ(笑)
どれだけの意味があるのかわからないけど、それはとてもロマンチックだった。

翌日私は帰国するので、これってリゾラバっていうのか?
でも押し倒されてないから(笑)ま、不倫じゃないよね・・・
などと一人考えて笑っていたら、
彼がやってきて私にアドレスを書けといって、彼のアドレスをくれた。
私は今は書く時間もないから、と言って書かなかった。
でもきっと帰ったらすぐに手紙を書きますから・・・

そして一枚だけ二人で並んで写真を撮った。
Rはとても人懐っこい笑顔で写真におさまり、私はまるで少年のようだった。

帰りの空港で私は何かとても大事なものを置き忘れてきたような気がして
胸が苦しくなった。涙がこぼれた。
きっとこんなのすぐに忘れる。
たったの3日間のことでしかない。


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いや~このあとどうなってしまうんでしょうか??
なんだか私の過去の暴露話のようになってきましたねぇ(笑)
でも他のところにも書きましたが
私が今生作ったカルマは?という怖い質問をマアトに聞かれたら(そう聞くかは知らないけど)
きっと私は彼の名を口にすると思う。





私の不思議の国 [碧の使い手までの道]

嵐を呼んだシンガポール
この後心臓をわしづかみにされる出来事が・・
というところで終わったままになっていたので、その続きを書こうと思う。

嵐の後の晩、本社スタッフのおばさんがもともと知り合いの
日本語ぺらぺらのガイドのお兄ちゃんを呼びつけて
カラオケに行くから女の子グループで一緒に行こうと誘ってきた。
私はそのおばさんの顔すら見たことがない人だったので躊躇したが
店長と本社の同じ部門のスタッフが行く、行く!と喜んでいたので
仕方がなくついていった。
カラオケのあるそのバーはとても怪しげでおねえちゃんがセットになっていた。
しかもトイレの横にはさらに怪しげな部屋が並び、
トイレの脇には艶かしいおねえちゃんが客引きをするように並んでいる。
カラオケが始まるとすぐにこれから友達がくるから・・・とガイドのお兄ちゃんが言った。
お姉ちゃんはキャンセルしてもらい、そこへガイドの友人3人が部屋に入ってきた。
そのうちの一人の男の子が部屋に入ってきた瞬間、私は息が出来なくなった。
例え話ではなく、まさに息が止まったのだ。
心臓を掴み取られたような衝撃が走り、
なんでもないように目をそらすことができたのかどうかも謎である。
3人のうち一人は女の子で、明らかにその男の子を好きだったようで
一生懸命彼に向かって話しかけているが、
彼は上の空で一番遠くの席から私のことだけをずっと見ている。
私もそれに気づいているが、何でもないふりをし続けた。
きっと私と同じ衝撃が彼にもあったのだと思った。
その頃の私はセシールカットもどきのベリーショートでちょっと少年のような感じだった。
一緒にいた店長など女の私が見ても本当にきれいな人なのに
なんで私を見ているんだ??
トイレに行って戻ると彼はドアの前に立っていた。
私はなんだか怖かったので無言で通り過ぎた。
彼は一言「ここは危ないから・・・」と言って、どうやら心配して待っていてくれたらしい。
席に戻ると私の隣に座った。
特に会話はなくても、彼はずーっと笑顔で私の横顔を穴が開くほど見ていた。
私はこの胸騒ぎの元をたどっているが、やっぱり彼の笑顔のせいだとしか思えなかった。

帰り道数台のタクシーに分かれて乗り込むときに、
いきなり彼は私の手を引いて私を抱き寄せてキスをした。
私は突然のことにびっくりしすぎてされるがままだった。
店長は私がさらわれるかと心配して私のもう一方の手をつかんだ。
タクシーに乗り込むと店長はいろいろと質問してきたが
私にもわけがわからなかった・・・ただ彼が登場したとき私は息が出来なかった・・・
店長はそれ以上何も言わず、ホテルに帰ると誘導瞑想を手伝ってくれた。

私は泣いていた。
私は大きな船の上にいた。
彼はそれを涙で見送っている。
私達は愛し合っていたけれども、宗教上の理由で別れさせられた。
私の家は裕福だったので私を船に乗せて外国に留学させてしまったのだ。
私は泣いていた。

目を開けても私は泣いていた。

これが私の真実なら私はどうすればいいのだろう??
名前も知らないというのに。

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いつもありがとうございます。

今考えてみれば、全然知らないのにいきなりキスするなんて怖いですね(笑)
それまでも仲良しなら男の子でもハグは当たり前だったけど
仲良しの男の子とチュウしちゃったことはあるけど・・・
知らない人に胸をかき乱されたあげく、いきなりのキス・・・ドラマですね(爆)

そしてこの↑物語は・・・この後どうなってしまうのでしょうか??
つづく[わーい(嬉しい顔)]








私のおばあさん [碧の使い手までの道]

母が私のタロットでのアドバイスを求めるのには実は理由があった。
母の母親=私のおばあさんは実はサイキックだったんだ。
祖母はもう20年ぐらい前に85歳ぐらいで亡くなったが
最後までトランプをいつも持ち歩いていた。
その占いはかなり当たると親戚の中では有名な話で
(それ以外での評判は私は聞くすべもないが)
親戚一同通称「ばあさん」を魔女として恐れていた(笑)
年長者の従姉から聞いた話によると
じいさんが亡くなったのは、ばあさんの超能力のせいだとも言われていた。
思い返せば、誰でもが、ばあさんを怒らせてはいけないと結構神経質に扱っていたように見えた。
が、私にとってはめったに会うこともなく
一人娘の生んだ娘は、一番小さかったし孫としてかわいかったのだろうと思う。
会えばいつもとてもかわいがってくれたし、
妹が生まれたときには手伝いに来てくれたのだけれども、
妹が生まれた日には私にリカちゃんの友達で自転車に乗る子(名前は忘れた)を
お土産に買ってきてくれた。
そして「数日すると妹が家に来るんだよ」と私に話して聞かせたことを覚えている。
小学校2年生になったばかりのころのことだ。
そんなころは、ばあさんが怖いなどと思う理由もなかったので
私はそのまま大きくなってから聞いた従姉達の噂話はどこかの物語のようにしか聞こえていなかった。

次に会ったのは高校一年生の夏休み。
従兄の結婚式に我が家の代表で行った時だった。
(母はこの時も仕事をしていた)
母にはばあさんに渡すようにとお金を預かっていったが、
それを渡すと、その後すぐに私におこづかいをくれた。
数日ばあさんと一緒に知らない顔の親戚周りをしてから帰宅した。
その時にも私は何も気にも留めなかった。

その次に会ったのはばあさんが歩けなくなった時。
親戚の伯父さんが(先日とは別の人)が飛行機に背負って乗せて
なぜだか我が家にばあさんを届けに来た。
その後数ヶ月ばあさんは我が家にいて、その後相模原の伯父さんの家に行き・・・
それからまた石垣島に戻って行ってからしばらくして亡くなった。

我が家に居たときには私は嫁いでいたが
近所に住んでいたのでほぼ毎日ばあさんを見舞った。
が、実はばあさんの言葉は標準語から程遠いため言葉がほとんど通じない。
2回は聞き返してみるけれど、3回目はさすがに聞き返せず
話の前後、状況から推測して聞いていた。
それでも私が顔を出すと毎回「かわいい。お人形さんみたい。」と
涙を流して喜んでくれた。
(この頃の私は若くて、太ってなくって、クリクリパーマに赤い口紅で
これは過去の栄光を大いに自慢すると、結構かわいかったと思う:爆)
それからベッドを少し起こすと、トランプを並べたり、
指を使って何かを数えたりして、色々なことを占ってくれた。
そのトランプがどんな法則で並べられたり、集められていたりしたのかは
全然見ていてわからなかったが、ばあさんは一生懸命に何が起きているのか、
今後何が起きるのかを語っていた。(が、私は半分ほどの聞き取り能力だったけど)
確かにあんまり当たっているので何度も驚いた。

そして最近になって、私がタロットを勉強するようになり母は言った。
「やっぱり、ばあさんの血が流れているんだね。
一族の中で時々出るんだよ。こういう力がある人が。
ばあさんのばあさんもそうだったらしいよ・・・」と。
母は私の行うことの全ては理解していないけれども、
タロットというツールが現れてから、ばあさんを思い出すらしい。
この間私に聞いた。
「カードはたくさん持ってるの?」と。
実際私は今使っているタロットデッキは一組しか持っていない。
このカードと信頼関係を作ってきたから、他のカードを必要としてない。と答えると
「ばあさんはいつも新しいトランプを欲しがったよ。
人の思いが入り込むから新しいもののほうがいいって。
もっとたくさん新しいトランプ買ってあげたらよかった。
別に安いものだったのにね。そんなに大事だとも思わなくって。
でもいつもこうやってカードでみんなの悩みに答えていたから
みんながばあさんを頼っていたし、ばあさんを大事にしていた。」
と遠い目をして母は言った。
私がすることを通して、ばあさんへの理解が深まったのかもしれない。
そしてばあさんがしてきたことを通して、私への理解を深めてくれている。
魂としてのルーツ。血族としてのルーツ。
面白いな・・・と思った。

ばあさんは7人の子供達とその子供達=大勢の孫、に恐れられていた。
たぶん私達兄弟を除いた全員に。
ばあさんが亡くなったという知らせを聞いたあと、
母は葬儀のために飛んでいった。
帰ってきた母が私に言った。
「最後に自分の子供達の名前を呼んで・・・一番最後の言葉が‘なみちゃん’だったんだって・・・」

「え~それって、孫の名前も全部呼んだけど上から順に呼んでいって、
私のところで力尽きちゃったから妹弟の名前は言えなかったのか、
それとも忘れちゃったからとかじゃない?」と茶化したが
母はそうではないと思うと言い切った。
ともかく、みんなが恐れる魔女だったばあさんの最後の言葉が私の名前ということになった。

今このことについてふと思った。
そういえば、ばあさんが亡くなった後、私の碧の使い手物語は始まったのだ[どんっ(衝撃)]
ばあさんが私の名前を最後に口にしたのも偶然ではないかもしれない。
たぶん孫だって30人以上いるはずだもん(よく知らない)
最後にばあさんに宿っていた力が、その時私の元に送られたのかもしれない[ぴかぴか(新しい)]

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みんなが恐れていたばあさんだったけど、
若いときの写真は本当に現代風の今でも通用する美人だった。

そして私が思い出すばあさんは、私の顔を見るたびに
かわいいと言って涙を流して喜んでくれるくしゃくしゃの顔だ。
私が手を握ってあげると喜んだくしゃくしゃの顔だ。

今日の親子体操で思い出したこと [碧の使い手までの道]

今日はちびの幼稚園の体操クラブで親子体操第二弾がありました。
丸めた新聞紙2本を使って、飛ぶ、立てる、投げる、ひっぱる、たたく、踏んづける・・・
とぼろぼろになるまで使い果たしました(笑)
子供達は大喜びで、ママ達も大ハッスルで
わざわざみんなを喜ばせるために競い合ってがんばってくれるママもいて
本当に楽しい時間でした[揺れるハート]
(今回は筋肉痛は免れたかなぁ)

私が子供の時には母が仕事を持っていたために
保育園や学校関係の行事には一度も出てもらったことがありませんでした。
入学式は一回り年上の従姉が参加し、遠足は家政婦さんと一緒だったり、
運動会には大して年が違わない近所の従姉が参加してくれたりというのが
写真を見て思い返すところです。
(保育園の小さい時の写真には手をつないでいるこのおばちゃんは誰だろう?というのさえありました。)
小学校の卒業式と中学の入学式だけは父が参列してくれました。
その頃私の周りでは父親が参加するケースは少なくて
しかも父はアーティストでしたから個性的な外見で、
長髪に口ひげだし、ちょっと日本人離れした顔立ちだったのでどうしても目だってしまいました。
私はご機嫌でしたが、父は恥ずかしがり屋で人前を嫌う人だったので
よく参加してくれたものだと今は思います。

ちなみに保育園は先生の理不尽な苛めに文句をつけやめてしまいました(笑)
たぶん4歳ぐらいだったかと思いますが、あまりに私の意見が正当であり
的を得ていたそうで・・・先生は馬鹿だからもう辞めます・・・と
最後に言い放った私に対して父はよく言えたとほめてさえくれました。
(父も変人ですので:笑)

とにかく私は母の美容師という仕事が、
人が休んでるとき、お出かけする時こそ働くというので大嫌いでした。
母を恨んだりしたことはありませんが、
卒業式ですら母は卒業式に参列するための他のおかあさんの
髪をセットして、着付けをしていたので、
私は絶対に美容師になんかなるもんか!!と子供心に思ったものです。
やっぱり子供心としては、みんながママといる時に
自分だけ一緒にいられないというのはとても寂しいことでした。

今、私は母になり、といってもかなり適当な母さんですが(笑)
学校などの行事だけは最優先にしています。
私の妹は完全に子供中心の生活を送っているので
子供のときには母に対して感謝をしてこそ誰も口に出来なかったけれども、
とても寂しかったのだろうと思いました。

その母は先日ジョン先生の占星術の本を読んでいたとき
内心を言い当てた言葉に・・・
確かに私は子供達を抱きしめることさえ出来なかった・・・とぼそりと言いました。
今でも母は不器用なところがあります。
口は悪いし、自分勝手だし・・・
それでもそれは母の心の中の全てではありません。
私はそばでずっと見てきて、母ほど懐の深い人間を見たことがありません。
口が悪いのでそれを知る人は少ないのだけれども
母ほど慈悲深い人も見たことがない。
商売人なので損得勘定も出来ないと困るのに
ほとんどの場合は損としか見えないことばかりのボランティアに見えます。
多くの人にただ利用されても、全然へっちゃらで(口は悪い・・・)
子供よりも社会への貢献を常に最優先としていました。
自分の子供よりも、よその子供、スタッフを常に優先させていました。
母にしてみれば、自分がよその子を親身に面倒見るように
よその人が自分の子供にも手を差し伸べてくれるだろうと思っていたそうです。
私がバツイチになりぼろぼろになって戻ってきた後
母がかわいがって育てたスタッフ達の脅威=私の存在という図式を彼らが描き
更に私を邪魔にするようなことが起こった時に、
母は「思い違いだった・・・自分の子は自分が守らないとならない」と私に言いました。
私はその一言でその時の周りとの緊張した関係、私にとっても脅威であった相手を
許すことができました。
その後も、結局母のスタンスは変わりませんでしたが、
私はそんな母の背中を見て育ち、普通の母さんと娘以上に多くを学ぶ機会を与えられたことに
今はとても感謝をしています。

母はスピリチュアルといわれる本を読むわけでもなく、
そういうテレビを見ることもありません。
それでも母は自分が与えたものは他から帰ってくることを知っています。
母がみんなにぶどうを手渡しつづけ、母が思うようには
私の手にすぐにぶどうは届きませんでしたが、
私はたくさんの気づきと学びの機会を与えられたことで
私の心に植えられたぶどうの木には今たくさんのぶどうがなっています。
私が母を越えることは出来ないかもしれませんが、
私の子供達は軽々と私を越えて、そして母と並んで欲しいなぁと
今改めて思いました。

すでに私の母を知ってる人は
どれだけぶっ飛んでいるかはご存知かと思いますけれども(笑)


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相変わらず私の文章は長いですね[たらーっ(汗)]
分割して書けってよく言われるんだけど、
書き出したら一気に書かないと気がすまないもんですみません。
ここまで読んでくださってありがとうございました[揺れるハート]
ついでと言ってはなんですが・・・上の画像をクリックして応援してください[わーい(嬉しい顔)]

嵐を呼んだ・・・シンガポール [碧の使い手までの道]

マーライオンが怖い・・・の話をYちゃんとして1ヶ月後。
勤め始めたばかりの会社の社員旅行があることを知る。
4月のはじめに入社した私は社員旅行の対象者だったが、
私の10日後に入社した子は写真旅行の留守番組とされた。
行き先は、シンガポール。
マーライオンが待っている。
私はその話を聞き、
「なんで10日後の入社の子は行かれずに
私だけ行かれるのか?私も留守番でいいですよ。
なんなら私が留守番で彼女を連れてってくれてもいいですよ」
・・・と直接部長に話したが、「会社の決定だから・・・」と笑って言われた。
私はその日帰るとすぐにYちゃんに相談した。
社員旅行はうれしいが、なんでシンガポールだ??
Yちゃんは、「南海ちゃんはシンガポールに行くためにその会社に入ったのかもねぇ」と笑った。
私もこのタイミングだったし、同じ新人でも行かれない人がいるんだから、
本当にそうとしか思えなかった。

そして更に一ヵ月後・・・会社のスタッフは2班に分かれて出発し、
現地で2日だけ重なるように設定しての4泊5日の旅だった。
私は店舗勤務だったので店長と同室だった。
他の社員はすべて本社勤務だったが、
部長や社長はじめから仲良くしてもらえていたため、別に気詰まりなことなどもなかった。

出発の便は航空会社のストのため遅れた。
夜遅くに現地入りしたが、仲の良い数人で屋台に食事に出かけた。
シンガポールに詳しい人もいたが、選んだ食べ物はかなり辛かった・・・
辛いのが大好きな私が、辛すぎて食べられないものまであったのだから、
相当だったと思う。(翌朝ほぼ全員下痢をした:苦笑)

そして到着した日の深夜、雨が降り、風の音がしていた。
翌朝は植物園に行くことになっていたが、バスが来ない。
ロビーでかなりの時間を待ったと思う。
ようやく到着したバスに乗ると、ガイドが遅れたことを侘びた。
窓の外を見ると、大きな木がそこら中で道に倒れていて・・・
昨日は数年ぶりの嵐だったという。
そのすさまじさは見て取れるが、すっかり台風の後の澄み切った空と空気のように
すばらしいお天気だった。

マーライオンにも観光に行った。
あんなに目を背けるほど、ずっと怖かったものなのに、
全然なんともない。水を吐き出す様をしばらく見ていた。
一体何を怖がっていたのだろう??
嵐とともに私のマーライオンに対する恐怖心も吹き飛ばされたようだった。


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そしてこの晩に、私の心臓をわしづかみにされるような出来事が起きるなんて
その時点ではまだ知らなかった。

つづく


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