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わけもなく怖いもの=マーライオン [碧の使い手までの道]

意味もなく怖かったもの、その2はマーライオンだったと書いたが
ちゃんとこの話にもオチがある(と、私は勝手に思っている)

シニカル・ヒステリーアワーという漫画が大好きだった。
意地悪でわがままなツネコちゃんなのに、なぜか嫌いになれない。
ちびまるこちゃんのほのぼのさとは違って、タイトル通りにシニカルな世界だった。
そのシニカルの中で、ツネコがどこか外国の橋だったか、
エッフェル塔のような塔だったかが頭に突然浮かび、忘れられず
きっと私の前世はそのような国のお姫様だったに違いない!と
みんなにも話し、大いに盛り上がり、みんなもなぜか納得したところで、
おかあさんがおやつを持ってくる。
そのおやつのクッキーの缶のふた。
それがツネコの頭から離れない風景だった(爆)
(正確じゃないかもしれないけど、そんな感じのストーリーだった)

それを思い出すと、私が嫌いなものだって
単なる刷り込みじゃないか~という気にだってなる。
それでも私は子供のときからマーライオンを見るたびに
なぜか胸が苦しくなるような気がしていた。
クイズ番組などの賞金でよくシンガポール旅行があげられていたし、
そのときには水を吐き出すマーライオンの姿が映し出されたものだが
そんなシーンは決まって目をそらし続けていた。
(クイズ番組にも、そのテレビを見ている状況にも
トラウマになるような問題は何も思い当たることはない。)

そしてYちゃんにこの話しをした時にも、
Yちゃんは「シンガポールに何か因縁でもあるのかねぇ」とだけ言うと
同じように自分で見てごらんと言って、過去世退行を誘導してくれた。

そこでの私は、マレーシアの豊かな家に生まれた小さな女の子だったが
虎にかみ殺されてしまった。

全然マーライオンは関係なかった。
マレーシアというのはシンガポールに繋がっている土地だから
全く関係ないわけではないのだろうけれども、
マーライオンを怖がる理由は見つからなかった。
ただ私はねこ科の動物が苦手と前回書いたが、
虎に至っては昔土曜日のお昼ごろの番組をタイガーが提供していたのだが
そのはじまりに虎のアップが出てきて「ガオ~」というのを見るたびに
震え上がっていた。
動物園でガラス越しで絶対に安全だとわかっていても
怖くってたまらず、でも動向が気になって監視するという変な癖があった(笑)
バリに行ったとき、赤ちゃんの虎と写真を撮るというコーナーがあり
かなりの勇気を振り絞って挑戦した。
(ガイドにはホワイトタイガーとなっていたからだけど)
その時見事なタイミングで赤ちゃん虎が私の足をがぶりと噛んだ。
赤ちゃんだったし、ジーンズをはいていたし、
本気で噛んだわけでもなかったらしく、もちろん大した怪我にはならなかった。
その一撃で・・・虎を受け入れることができた(笑)
何事も怖がるよりも経験しろ!ということだったのかな。
虎とのカルマが解消されたのかもしれないしね(爆)
今では動物園のガラス越しで「こっちに来い!こっち向け!」と要求している。

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そしてマーライオンを怖がる理由はお預けとなった。
この話の2,3か月後・・・
私がシンガポールに行くことになるとはまだ誰も知らなかった。



シニカル・ヒステリー・アワー (第1巻) (白泉社文庫)

シニカル・ヒステリー・アワー (第1巻) (白泉社文庫)

  • 作者: 玖保 キリコ
  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: 文庫



境界の門番と子鬼 [碧の使い手までの道]

Yちゃんとまだ毎日一緒にいた時、
Yちゃんが私に問いかけた。
「なぜか怖いものや意味もなく好きなもの、意味もなく嫌いなものは
過去生に大いに関係しているんだよ。そういうもの何かある?」

私は子供のときから仁王像が怖かった。
確かにあの大きさも、形相も子供なら怖がって当然だ。
ディズニーランドのミッキーマウスだって小さい子供は怖がって泣くこともあるんだから。

家の近くの観音様には、小学校からの写生会でもよく画板をぶら下げて行った。
私は入り口にいる仁王像が怖くて、毎回下を向いて息を止めて走り抜けた。
息を吸うのもためらうのだ。
帰りは裏口からのほうが近いと言って、仁王像を通らないようにした。
大人になって初詣に出かけることになった時、
いい加減にもう怖いなんて思わないはずだと正面きって仁王像を見た。
私は息を止めてボーイフレンドの手を握り締め、
目までつぶって通り抜けた。

これがYちゃんの言う、意味もなく嫌いなものだったり、なぜか怖いものに当てはまるだろうか?
私はこの話を伝えた。
Yちゃんは、私自身が原因を見るようにと過去世退行を誘導し始めた。

日本昔話の世界のような、高い、雲より高い山の上。
雲の下のはるか遠くに民家が見える。
私は小さな、小さな・・・鬼だった。
別に角があったわけではない。雷小僧のような身なりだったわけでもない。
日本昔話のような世界の中の、人間ではない子供だったのだ。
だから鬼と思った。かわいい言い方をすれば、妖精のようなものだろうか。
(中国語の妖精は日本語の妖怪に意味が近かったし、
西洋の妖精はコゴブリンなんかも含まれるのだから、全てがティンカーベルのような
愛らしい姿ではない:笑)
そしてその子鬼は雲の下の世界に憧れていた。
遊びに行ってみたくて、覗きに行って見たくて、いつもうずうずしていた。
そうっとそうっと、雲の上の世界と人間の世界を隔てる門を潜り抜けようとする度に
大きな鬼に捕まえられる。
首根っこをつままれて、ひょいっと戻されるのだ。
大きな鬼は4~5メートルもあって、小さな私は80センチぐらいだ。
ハイハイしながら足元をすり抜けても、あとちょっとのところで連れ戻される。
大鬼は境界の門番だった。
この生の最後を見たとき、どれだけ子鬼のままに生きたのかもわからないが、
そこを離れる直前に・・・私は雲の下でおぎゃ~と人間の赤ちゃんに生まれることができた。
めでたし、めでたし・・・

と、こんな具合だった。
まさしく境界の門番は仁王像にそっくりさんだった。
これは私の世界の出来事であるから、他の人の真実であるとは限らない。
それでも私は仁王像を怖がる私を少しは理解した。

更に時が過ぎ、最近になって観音様に出かけたとき、
真正面から仁王像を見た。
やっぱり息が止まった。
うつむきながら息を止めて走って入り、帰りは裏口から退散した。
実は私は大きな仏像も怖いのだけれども、
大丈夫なものも結構ある。大好きなものまで時々ある。

浅草寺の雷門の入り口の門番はかわいい顔をしていて結構好きだし、
敦煌の莫高窟の45窟の菩薩像は愛していると言ってもいいほどだ。
敦煌でも西安の寺でも逃げ出すほど嫌な感じなものもあるけれど、
随分仏像慣れしたと思っていたし、もう怖がる必要もないと思っていたが
昨年富山でお寺を案内してもらった際にも、
イケメンな韋駄天に喜んでみたりしていたくせに、
はすの花の上だか、ちょっと高いところにいた門番をちらりと見ようとしたら、
怖くなり、写真も撮れずに走って逃げた。

相変わらずだ。
もう連れ戻されることもないのにねぇ(笑)

この話は私のファンタジーのひとつかもしれないけれども、
私が日本で寺にも神社にもあまり自分から行かないこと、
全然聖地には呼ばれないんだよね~という言い訳がましい話にも繋がっているかもしれない。

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そしてもうひとつ、意味もなく怖かったもの・・・
それはシンガポールの顔、あのマーライオンだった。

つづく





サイキックは不幸なんだと思った日 [碧の使い手までの道]

ある時Yちゃんは関西の実家に一週間ぐらい帰るからと私にマンションの鍵を預けた。
猫のえさやりを頼まれた。
当時のご主人はTV関係の仕事をしていたので時間が不規則だったので
猫のえさをやれないかもしれないと言うことだった。
私が鍵を預かったことはご主人も知っていたはずだった。
とりあえず夕方までに一度だけえさをやりに行けばよいとのことだったけれども、
Yちゃんが居ないとあまりえさを食べない2匹の猫には少々手を焼いた。
私の友達はもう知っていると思うけれども、私は猫科の動物が得意ではない。
そう言ってもYちゃんちの猫は日ごろから私にかまうこともないし、
私がかまわなくともなんともないので、特に互いを嫌がる必要もなかった。
私は子供の頃から犬を飼っていたことがあったので、
Yちゃんが日ごろやっているのと同じようにトイレを掃除して、
買い置きのいつものえさをあげたけれども全然見向きもしなかった。
私が居なくなって、おなかが空いたら後からでも食べると思って一日目は帰ったが
翌日行った時にも、えさは全く食べた後もなくちょっと心配になった。
Yちゃんが最悪食べないときには「なまりぶし」をあげておいてと言われていたので
近くのスーパーに買いに出かけた。
「なまりぶし」は大好物のようで、この時はYちゃんがするように私の手からも食べてくれた。

そしてその翌日も昨日買っておいた「なまりぶし」をあげた。
とてもよく食べてくれて、私も安心した。
さて帰ろう・・・と思ったとき、目を疑った。
濃いピンクの女性の下着がリビングに面した部屋のドアのとってに干してある。
昨日はなかった・・・いや、昨日もあったのかもしれない・・・
と言い聞かせてみたが、何かが変だ。
絶対にYちゃんのではない気がする。
私は家に帰ってからずっとこの下着について考えていた。
当時の私の旦那さんが帰ってきたので、その話をした。
Yちゃんに言うべきかどうかで私が迷っていると告げると、
彼も困り果てた。
そこに電話が鳴った・・・
サイキックはこういう時に働くのだろうか?案の定Yちゃんだった。
「猫達は元気?変わったことはないですか?」と様子伺いの電話だった。
私は一瞬言葉に困った。
自分だったら優しい嘘より、真実を聞くほうを選ぶ。
そして告げた。今日見たもののことを。
Yちゃんは全く驚く様子もなく、自分のものではないとはっきり言った。
実は実家に帰ったのもなんとなくそういうことに気づいていたからだそうだ。
帰りの新幹線でも「留守電」と幾度と聞こえて、新幹線から家の留守電を聞いたそうだ。
まだ携帯電話は普及されていない時代のこと。
知らない女が待ち合わせに遅れるとメッセージを残していたそうだ。
私に鍵を預けたことだって、そういう流れのことだったらしい。
すぐに弁護士に相談に行くのでとりあえず状況証拠の報告をして欲しいから
その様子をレポートに書くように依頼されたが、私はすっかり怖気づいてしまい
彼が書くことになり、彼ともう一度状況を確認するために大急ぎでマンションに行った。
やっぱりピンクの下着はドアのとってにぶら下がっていた。

それからYちゃんが戻ってくるまでの数日の猫のえさやりは、
よりびくびくしながら行った。
私が言いつけたということはまだばれてはいないだろうけれども、
万が一ご主人に顔を合わせたら気まずくって仕方がない。
どうにか顔を会わせないまま数日をやり過ごせた。

Yちゃんは東京に戻ってきたと思ったら、すぐに荷物を整理し始め
(その荷物の整理は手伝いに行ったけれども)すぐに実家に引き上げて
その後離婚の調停が始まった。

サイキックな力によって疑わしき事を暴いてしまうことになったのだから
私も考えさせられた。
私の体のつらさも、Yちゃんのこの不幸に思える出来事も
全部サイキックのせいなのだ・・・サイキックは幸せになれないのではないだろうか??
そう思いはじめると、より私は自分の共感能力を呪った。
こんな力もう要らない。
誰のことも治せないし、私もこのままでは不幸になる。
こんな力もう要らない。

こうして一度にみんながばらばらに散っていく時がやってきたのだった。

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つづく

スポンジのように [碧の使い手までの道]

25歳になったころ、私はとても忙しいブティックで働いていた。
その当時その店の商品は雑誌に取り上げられることが多く、
出勤後電話を取った人は、数時間電話から離れられなくなったし、
あまりに電話が繋がらないことからお客さんが勝手に申し込んだのか
誰も知らない間にキャッチホンになっており、
電話で接客の間もず~っとプ~プ~音が鳴り続けて
そうとうスタッフはイラついたものだった。
狭い店内には開店前から並んだ人が入れ替え制でやってきた。

そしてその頃の私は、今より格段に共感能力が高く研ぎ澄まされていて
(まだエンパスなんて言葉もなかったし、共感能力などという言葉も知らなかった)
人ごみを嫌うようになりつつあった。
実際入れ替え制の狭い店内に7,8人程度のお客さんと5人ぐらいのスタッフがいて
(常にスタッフは一人は電話、2人ぐらいは発送作業をしていた)
急に手がしびれるなんて事があるときには、さっと見まわすだけで
すぐに「あ、この人だ!」とわかったほどだった。
それでも当時の私は「相手に触れないとそれは治せない」・・・と思っていた。
知らない人、お客さんには「あの~手痺れてませんか??」とはさすがに聞けない。
その人が帰るまでじっと我慢した。
その痛みなどの原因がわかっていても、それに触れることができない場合は
私自身の痛みではなくてもすぐには抜けず、しばらくその痛みと付き合わなければならなかった。
それは日を増すごとに敏感になって行った。
また同じように触れたときに痛みが取れる時間も早くなっていたが、
その能力をだんだん素晴らしいとも、いい事をしているとも思えなくなってきていた。
触ることが出来なければどうしようもなく、自分自身がただつらいのだ。
それでも知らない人には変人と思われるだろうから声などかけられない。
私は自分が巨大なスポンジにでもなってしまったかのように感じていた。
人の痛みを吸い取り、それは決して上手に消し去ることなどできなかった。
ただいくらか時間が経過して吸い取ったものが徐々に乾燥するのを待つようなものだったのだ。

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つづく

すべてはLove&Joyにつながっているから [碧の使い手までの道]

私は日ごろから脳天気な人間だと思われているらしい。
それは大いに私の望むところでもある。
深刻さも、重さも、同情も、私には必要ない。
けれども何事にも動じず、何でもへっちゃらで、ただ笑っているわけではない。
私の人生に対する姿勢というか、魂の使命のひとつにもあげられているが、
苦行をわざわざするつもりもない。
日々をくりかえすルーティンなワークは私は最も苦手としているので、
わざわざ行う「修行」と呼ばれるものも「完璧な」三日坊主になることから
はじめからやらないことに決めている。
(三日坊主って三日だけ修行に励むことを指しているんだね?笑)
それでも私は日常の中の経験からも、注意深く気づきを得ることが出来れば
山篭りをするよりもずっと、魂の成長への近道だと思っている。

私が書いている「碧の使い手までの道」というのは、
私自身がスピリチュアルに向き合うことになるまでの経験と体験のエピソード集だ。
それは経験した当時の、怖い体験もあれば、面白い体験もあり、つらい体験も含まれる。
けれどもその主観的な感情における部分は、今は全部が「面白かった」経験に置き換えられた。
私は深くつらく、悲しい感情を味わった後に、
いつも原因を探り当てようと「なんでこうなったのか」ということにフォーカスし続ける。
ひとつずつの原因をたどり、そして「もしも」をたどる。
それから、その時に対峙した人物の感情と動機を、
相手の立場に成り代わって同じようにたどる。
大体はその時点で私や、もしくは相手の弱さを見つけ出す。
相手の弱さを見つけた時には「そうしてしまったこと」が相手の立場で肯定されるのだ。
その後、私の立場に戻って「相手の弱さと原因」を振り返るとき、
それまでの怒りは溶解している。
小さな子供を相手にするのと同じ様に、同じレベルでは怒れないことに気づく。
すべてはただなるようになっただけなのだ。
より良い何かのために。
そしていつか笑い話になるために。
私は過去をそのように清算してきた。
反省はとても大事だけれども(←私も忘れがち)
後悔は無駄だと思う。
いつでも失う何かは、よりよい何かのためなのだ。

私が過去を思い出し、ここに書くことに何の意味があるのだろう?
私自身が疑問に思った。
なんだか気づけば書き出していたのだから。
悟りのコースでエリザベスに魂の使命として伝達された
私がいつもHappy な理由をブログに書くように・・・というのも原因のひとつ。
そして新たに始めた占星術のお勉強も原因のひとつ。
星の運行が私達一人ひとりに与える影響がここまで大きいとは思わなかった。
来年のあるだろう出来事は、12年前に起きた有る出来事を参照に出来るという。
そしてその12年前をも思い出したら・・・過去のこの二つの年の出来事は
驚くほどよく似ている。関わった相手が違うだけで同じようなことが起きていた。
ということは、星はめぐってまた・・・

後悔をするのは無駄だ。
でも反省するというのは大事。
その通り「過去から学べる未来」があるということを知った。
過去を振り返ることは私にとって今大事なことであり、
私の過去の経験を笑いながらあなたが読むということは、
一度の短い人生では全てを経験できないものとして
軽くエンパシーを感じてもらえたら幸いだと思う。
(もちろん、反発であっても幸いだ)

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そしていつも繰り返しているが、
Love&Joy・・・全てはLove&Joyに繋がっている。
その断面だけでは計り知れないものだ。

名もなき私の言葉を読んでくれてありがとう[揺れるハート]





生霊 [碧の使い手までの道]

24歳の頃、私は時々背中がちくちく、かりかりと痛むことがあった。
その度にそばに人がいれば、ちょっとさすってもらったりして。
またあるときは同じように背中が痛いの・・・と言って
Yちゃんが背中に触れると、アンパンみたいに膨れてる・・・と言って
Yちゃんは私の背中に馬乗りになってマッサージをしてくれた。
それはそう長いこと続くわけではなかったけれども、
忙しくしているときや仕事中などは感じないのだけれども、
夜静かにしている時によく起こった。

ある日シャワーを浴びようとして服をめくった瞬間に来た。
大急ぎでお風呂場の鏡に向かって背中を向けた。
すると、さーっと赤くなっては消えていくことを何度も何度も繰り返した。
私はあんまり怖くなって、その当時の旦那さんを大声で呼んだ。
彼も私の背中に浮かび上がる引っかき傷を見ると恐怖のあまり無言になった。
その時の私は、かまいたち?狐?ともかく動物霊だろうと思って怖くなった。

翌日私はYちゃんの家に行き、この話をした。
私は動物霊じゃないかと思う・・・というと
う~んとうなって、ちょっと違う気がする・・・とだけ言った。
そこにQさんが登場した。
Qさんは私がこの話の全部が終わらないうちに「生霊だよ」と言った。
そして「彼の女だよ」・・・と言い切った。
私の頭は瞬く間に光源氏(私の中では、あさきゆめみしの漫画だが)に直結し
動物霊よりも怖いじゃないの!と思っていた。

彼の女・・・
彼はその数ヶ月前に浮気が発覚したのだが、同じ職場の友人(私の友達の旦那さん)とともに
同じ店の女の子とそれぞれ浮気をしていたので、
互いに会議だのなんだのと仕事を装ってアリバイ工作をしていたので、
疑いつつもなかなか確証がつかめなかったのだ。
思えば彼がその店に入ってからず~っとその女の子は彼を狙っていたのだと思う。
初めての宴会に私が後から呼ばれた時の、その子の不敵な笑みがそれを匂わせていたのだ。
私を呼べと言ったのもその子だった。

その浮気が発覚したとき、彼もその女も友人も友人の旦那も集まった。
私はみんながあれこれと言うことを遠くに感じて黙って聞いていた。
ただ感情による肉体の過激な反応を感じ取っていた。
体中の筋肉は緊張し震えて、その後3日間ずっとひどい筋肉痛でがくがくと震え続けた。
後にも先にもあんなに傷ついたことはない。
素直に信じていたものにあっけなく裏切られたのだ。
あまりのショックで心も体も叫んでいた。
一言も言わず静かにその場に座っていただけだったけれども。
私はその後どうするべきなのかも全くわからなかった。
すべてが遠くに感じて、悪い夢のようでしかなかった。
それでも許そうと思っても、忘れることが出来なかった。
忘れられなかったのだから・・・許すこともできなかった。
それから数ヶ月の間、何事もなかったようにやり過ごしているその時だった。

私達は彼のお姉さんが結婚したばかりだということで、
入籍だけを先に済ませ、結婚式は彼の両親に頼まれ2年も先延ばしだった。
彼がその店に勤めはじめた後に、結婚式となったのだが、
その結婚式の写真はひどいものだった。
彼の故郷博多で行われた結婚式には、私の友人も東京から10人ぐらい駆けつけてくれた。
もちろん全員がカメラを持参してくれているわけだけれども、
全員のカメラが異常をきたしたのだ。
式が終わって花嫁を囲んで友人達が写真を撮ろうとした時、
一台のカメラも作動しなかった。
私の妹が家族のカメラ係だったのだけれども、
現像された写真は全部に謎の光が写りこんでいた。
結婚しました~というお知らせのはがきに使える完璧な写真は一枚もなかった。
上手に写っていないとか、かわいく写らなかったとかのレベルではないのだ。
ケーキカットをしていれば、二人の間を引き裂くように白い煙のようなものが入っている。
二人がひな壇に座っている写真の端にいる仲人さんの上には、
狐のような形に見える光によって顔が見えなくなっていたり。
とにかく全部が心霊写真の鑑定に出すべきもののようだった。
結局妥当な写真が一枚もないので、両家の親戚中をあたったが
みごとにピンボケばかりだった。
結局その狐のような仲人さんの部分をカットしてもらい葉書を作成するしかなかった。
ご先祖様が許さない結婚だったのか、動物霊が邪魔しているのか・・・
誰も口にはしなかったが、私はそのように思っていた。
だから背中の傷を見たとき、すぐに動物霊?と思ったのは、このことを思い出してだった。

が・・・生霊・・・と言われれば、結婚式の時だってそうだったのかもしれない。
結婚式の前から、彼女の私を見る目はあきらかに変だったのだから。
結婚式の準備中で、最後に結婚式場のブライダルフェアに行く予定だった時、
ちょうどその時に私は腎盂炎になって2週間も入院して行かれなくなった。
(このことを「初めての先生」こと習わなかったヨガの先生が言ったのだが)
彼は冷たいことに私の入院中たったの一度しか見舞いに来なかったから
母はとても怒った。そして何か変じゃないの・・・と言ったけれども
私はそれ以上深くを見ないようにしていたのだ。
だからきっと、その時もすでにそうだったのだろう。

彼は浮気が発覚した後すぐに、その女と別れると言ったのだが、
結局彼は誰にでもいい顔で、誠実さなどなかったのだ。

Qさんはもちろんこんな話を聞くまでもなく、
その女が「あんたさえいなければ~」と思っているのよね。
どうすればいいかというと、その女の幸せを願ってあげるしかない。
彼女が幸せになれば、こんな男のことなどどうでもいいし、
あんたがどうなっても関係ないでしょう?
明日ハンカチをプレゼントに用意して。
私がそのハンカチに力を入れてその子が早く他に目を向けて幸せになれるように祈るから。

と言ってくれた。
彼は翌日ハンカチを届けて、彼女に渡した。
彼も私の背中の傷が彼女のせいであると思ったら怖くなったらしい。

それでもすぐに私の背中の痛みは消えることはなかった。
Qさんがいる時には数回追っ払ってもらったが、
悪霊よりもたち悪いんだよ。悪霊だったら払えば来られないんだけど
生霊はその人が思いを向けている間は何度でもやってくる・・・と言った。

それからしばらくして、いつのまにか背中の痛みは感じなくなっていた。
私が彼に対しての執着心がなくなった時に・・・
同じものを想うものとしての同調がなくなったからかもしれないし、
彼女もどうでもよくなったのかもしれない。

今ではよくサイキックアタックというが、私はこの時ほどそれを感じたことはない。
大体の場合のサイキックアタックはネガティブな想念を送られることをさしているし、
その場合はある程度の防御もできる。
でもこの時の私には、少しの防御力も浄化についての知恵も知識も強さもなかった。
だからまるまる全部を受け止めてしまったのだと思う。
それにここまで強く生霊となるまでの想いを持つことも、そうそうないとも思うけれども。

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もっと早くに私が手放してあげれば、みんなが幸せになれたのかも・・・とも思うが
この時の私はまだまだ子供で傷つくばかりだった。

一家に一台 [碧の使い手までの道]

Qさんは私を「リス」と言った。
小さなものをたくさん、たくさん集めるのが得意だと。
そしてYちゃんをスカンクと言った。
スカンクはとてもプライドが高い。
そしてこの二つはとてもよく似ているけれども、
お互いに自分にないものに憧れている・・・とも言った。
確かに私はYちゃんのリーディング能力に憧れていたし、
Yちゃんもどちらかといえば、ヒーリング能力が欲しかったとも言っていた。

私はこのころから一家に一台南海ちゃんだよね~と
年上の中で重宝がられていた。
私には先生と呼べる人物も、お手本も持っていなかったが
なぜかそのころ気づくと「ヒーリング・アビリティ」が自然に開花していた。
これだけのサイキックの中にいれば十分過ぎる刺激があったからだろうと思う。

Yちゃんはものすごい憑依体質でもあった。
具合悪くなりかけると、除霊の出来る鍼灸の先生のところに行っていたが
ある日、とうとう行くことも出来なくなってしまい、
助けて~と電話をしてきた。
私はぐったりしているYちゃんの背中を軽くマッサージした。
ある瞬間私の中です~っと何かが抜けて軽くなる瞬間があった。
たずねると、もう楽になったとYちゃんも言った。

Yちゃんの家にはいつもたくさんの人が集まっていた。
ある日チャイムを鳴らして友人の一人がやって来た。
リビングのドアを開けるなり、「頭痛薬ない?」と言った。
私はチャイムが鳴ったころから頭が痛くなっていた。
その時は深く考えなかったが、同じようなことが度々重なり
もしかすると人の痛みを感じ取っているのではないだろうか??と思い
気にして観察してみることにした。
すると見事に痛い所が一致しているのだ。
そしてその人たちの体のその部分・・・つまり私の痛いと感じている場所に触れて
軽くマッサージ数分をすると、す~っとそこの痛みが私の体から抜けていき、
聞いてみると、その相手も同じように感じていた。
それからはどこか痛いと人が集まってきて、
私はみんなの体を癒し始めた。
それが私の「とても立派な」使命のように感じていた。
痛みがわかるということは、治してあげられるということで、
治してあげないとならないのだ・・・とそう思っていた。
私は「人を癒してあげられること」がとても誇らしく、すごくいい事をしていると信じていた。
私自身が癒していると信じて疑っても居なかった。
今思えば恥ずかしい。随分とおこがましいものだった。

その頃は、何の知識もなく、先生も居ない・・・
本といえばバシャール・・・他に情報もなく、
周りにいるサイキックな人々も、超能力者と呼ばれ、
スピリチュアルという言葉はまだ使われておらず、
一般的な友達から見れば私のいる世界は
精神世界という逆に閉ざされた小さな妄想の世界のようだったに違いない。
これは24歳の頃のことである。

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この時が今で言うエンパスということを私自身が認識した始まりだった。


超能力者Qさんの登場 [碧の使い手までの道]

友達の知り合いが、「Yちゃんにとても会いたい」と言ってくれたので行って来た。
数日ぶりに遊びに行くとそうYちゃんが言った。
そしてその知り合いというのは(仮にQさんとしましょう)すごい超能力者だという。
色々な宗教団体から教祖になってほしいと言われているらしいと・・・
何も言わず、何も聞かずになんでもわかってしまうのだという。
そして物や動物に人を例えるのだと。
かわいいものだからと喜ぶのは早い・・・
アイスクリームと名づけられた女優は、かわいいしやっぱりね~と喜んだら
なめられて飽きたら捨てられるとばっさりと切られたらしい。
怖い・・・私の第一声だ。
そして、Yちゃんのこと大好きだから遊びに行くね=と言ったらしい。
だから今度来るってさ・・・
Yちゃんは楽しそうにそう笑ったが、
まさか今日がその日とは誰もまだ知らなかった。
チャイムが鳴って突然Qさんがご主人同伴でやってきた。
友人と3人でUNOをしていたので、私がそれを大慌てで片付けた。
Qさんはそれを見て、何をしてたの?と聞いた。
私は簡単にルールを説明した。
すると彼女はランダムに私がかき集めた山から一枚めくり
赤の3、黄色の5・・・と続けて10枚ぐらいを数秒で全部当てた。
手に持って念じるなんて時間もない、坊主めくりのようにどんどんめくるのだ。
「どうせ全部あたっちゃうのよ」そう言ってQさんは笑ったが
私は怖がっていることが見透かされないようにと願った。

しばらくして何でもないような世間話を始めた。
何でもないような会話に思えた。
「生まれてこなかった子供というのはね・・・深く気にし続ける必要などないの。
それが互いの学びだったのかもしれないし、その魂は次に生まれる準備もしている・・・」
私はふん、ふん・・・と他人事のようにうなづいていた。
「ちょっと、あんたのことだよ[パンチ]
Qさんは私を見ていた。
私は椅子に座っていたら間違いなく落ちていたと思う・・・そのぐらいぶっ飛んだ。
少し前にYちゃんが子宮外妊娠で入院したというから、
てっきりそのことだと思っていたのだ。
私が流産をしたというのをQさんが知っているはずもなかった。

そんな話が続き、タバコをやめたいという友人がそれを相談した。
Qさんは、タバコの箱を手に持って一瞬何かした。
そして吸ってごらんよ。と言った。
彼女は恐る恐るタバコに火をつけると、のどが苦しい。と言って
すぐに消してしまった。
彼女は甲状腺の病気をしたことがあり、のどの辺りがもっとも弱いので
そこに影響が出たのだそうだ。
もうしばらくは吸いたいと思えない・・・と彼女は言った。
それを見ていたYちゃんも、私のもやって!と言うと、
Qさんは同じようにすると、Yちゃんは頭が・・・孫悟空になったみたいだとか言った。
Yちゃんは頭痛もちだからだそうだ。
私も好奇心に負けてお願いした。
すると私のメンソールのタバコは苦いばかりの味に変わった。
まずすぎて吸えなかった。
「あんたは飴でもなめときなさい」と言った。
それからしばらくしてQさんがトイレに行ったので
みんなで一斉にタバコを吸おうと試みたが、全員同じ症状が出た。
このタバコに何かされたのか、私達が暗示をかけられているのかどちらだろうか?

Qさんが帰った後、私のそのころの旦那さんが迎えに来た。
彼に何も言わずにタバコを吸わせると、
「このタバコ偽物??古いの??メンソールの味がしない。」
と言った。
実は私はかばんの中にもう一個新品も持っていたのだ。
こちらも吸ってみたが、だれが吸っても同じにメンソールはなくなっていた。

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持っているタバコが全滅だったので、
翌日自販機でも新しいタバコを買ったがそれも同じ結果だった。
結局1週間ぐらいの間は、みんなその症状にやられた。
もしも本当にやめたいと思っていたのなら、
その一週間のいやな体験でやめられたのかもしれないが
全然その気のなかった私は毎日新たなタバコに挑戦し続けた(笑)



たぶん18年ぐらい前 [碧の使い手までの道]

その後Yちゃんの家には、いつも数人が集まるようになっていた。
もともとYちゃんはとても魅力的な人で、私にとっても憧れのお姉さんだった。
とても気持ちのよい人で、何がそう感じさせるのだろうか?
と私なりに考え見てみると、彼女はいつも「ありがとう」を忘れない人だったし、
そしてそれをいつも口にして伝えていた。
本当にありがとうという言葉も、その気持ちも、
またそれを伝えることも大切なことだと気づいてからは、私も見習おうと努力した。

その頃の私達は過去生退行にはまっていた。
暇さえあれば互いに誘導し、瞑想していた。
数人集まると、特にMちゃんの旦那さんはMちゃんの声は厳しいから
私に誘導してもらいたいと言ってくれて
大体は私が誘導の担当だったが、
Yちゃんと二人きりの時には、私が誘導してもらうことが多かった。
その頃みた過去生のいくつかは、今でもよく覚えている。

Yちゃんのリーディングは回数を重ねるごとにクリアになっていった。
何をどうやって知ることができるのか?と当時聞いたことが有る。

人々の意識はとても深いところで繋がっていて、ひとつの集合意識を築いている。
私のハイアーセルフはそこからその人の情報を読み取るから、
私が全く知らないことでも知ることが出来るの・・・と彼女は言った。

この頃はチャネリングと言うのは、
バシャールのように宇宙人や宇宙存在に繋がることだという認識だった。
私もチャネリングに対しては恐怖心を持っていた。
何か間違うと宇宙人に連れ去られるかもしれない・・・と思っていたのだ(笑)

今思えば、Yちゃんは、
とても感度のよいクレアコグニザンスと同時にクレアボヤンスでもあった。
すばらしい能力だった。

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そしてYちゃんは更にすごい超能力者と出会うことになる・・・
そして私も・・・

Yちゃん超能力者になる [碧の使い手までの道]

Yちゃんの家に着くと、
Yちゃんはとても喜んで迎えてくれた。
私は前に誘われた時にすぐに来ればよかったんだ・・・と思ったが
そうできなかった理由はその時点ではまだ口にすることが出来なかった。

Yちゃんは先にも書いたようにもともと勘がするどいタイプだったし
とても頭がいい人だと思っていた。
それから面倒見もよくって、たくさんの人に慕われていた。
たぶん私より8歳ぐらい年上だったかと思う。
彼女のお父さんもとっても勘がよく競馬でマンションを買ったというほどだ。
人に言うとその馬ははずれるらしいので内緒にしないといけないらしい。
彼女も里帰りするたびにお小遣いとして50万円もらった~というのだから
相当儲かっていたことだろう。
Yちゃんはそんなお金はあぶく銭だから、みんなに使うべきだといって
私も焼肉などをいつもご馳走になっていた。
再会して家に遊びに行ってからは、毎日のようにYちゃんの家で夕飯を一緒に食べた。
彼女のご主人も忙しく深夜まで帰らず、私の家も同じだったので
歩いて3分の距離なので、私が仕事から帰ると決まって遊びに行っていた。
それもまだ初めの頃、彼女がワクワクとして
「明日さ、アメリカ人の超能力者に会うんだ。すご~く楽しみ。
また明日どうだったか教えるね」と言った。

そして翌日・・・私が仕事から帰るとそれを見計らってすぐに電話が鳴った。
Yちゃんからだ。
「南海ちゃんすぐに来て!私超能力者になったんだよ!!」と。
私は歩いて3分の距離すら遠く感じて走った(笑)

Yちゃんが言った。
私なんでもわかるようになったかもしれないの!
今日ね、アメリカ人の超能力者がね・・・と今日のセッションの内容を説明してくれた。
それでね、最後に第三の目がむずむずしていてず~っと気持ちが悪いんだと言ったら
ほとんど開いているからねっていって、もう少し開いてあげるって手をぱってやったら
すこ~んて風が通ったの!!開いたのよ完全にね。だからなんでもわかるんだよ!!
・・・とまくし立てた。
そして私になにか話してみろと言う。
漠然としすぎて何をどう話していいかわからない。
私はその時になんで誘われてもすぐに来られなかったのか・・という理由を話したと思う。
すると、彼女はふん、ふん。とただうなづくばかりだった。
そして言った。

彼女はね、ノイローゼだねってみんなで言ってたの。
もちろん南海ちゃんのこと私に言いつけるように電話もしてきてたし、
他の人にもしてたみたいだよ。でもだれもその話を鵜呑みにはしていないよ。
ばかだね、そんなこと気にしてたんだ・・・と笑った。

私はちょっとうれしくなって涙ぐんだと思う。
でもそれって超能力となんの関係があるんだ!?と切り替えした。
そこに彼女のご主人も私と同じように電話で早く帰るように呼び戻されて戻ってきた。
同じようにご主人にもなんでもわかるから話してみろ!と言った。
でも何を話しても「ふんふん・・・」とうなずくだけだった。
しまいにご主人が「あのさ、いくらアメリカ人に払ったの?え50000円。あっそう。
50000円でいい夢みさせてもらったね」と笑った。
私もついに便乗して「高かったけど、楽しんだしよかったことにしよう。」
と3人で笑ってお開きになった。

その翌日仕事から帰ると「南海ちゃんすぐに来て!わかった!質問してくれたらなんでもわかる!!」と今度は言う。
私も単純だから走って1分。息せき切って駆け上がった。

私の知らない南海ちゃんだけが知ることを聞いてみて。
例えば~さんってどんな人?とか・・・

そう言われて数人の名前を挙げた。
彼女の知らない私の親戚のおじさんとか、学生時代の友人とか。
するとかなりのいい線でその人物像が当たっている。
すごいや!!ほんとうだよ!!
Yちゃん超能力者だよ!!!

その日からYちゃんの周りにはさらに多くの人が集まってくるようになった。

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この後私にも異変が・・・
まだまだつづきます。

ありがとうございます。

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