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死に装束 [Papa]

知らせを聞いてから、すぐに駆けつけようとしたが、
その日はもうすでに飛行機も新幹線も間に合わず、
もう一度電話をかけ直した妹は、
葬儀の日程を聞き、その両日に行く方が都合がよいらしいと言った。
連絡を聞いた翌日ではなく、もう一日たった通夜から参列することにした。

飛行機で伊丹空港まで。
飛行機の窓から富士山がきれいに見えたらしく、
妹はその写真を撮って後から私に見せてくれた。
妹も出来るだけ冷静に過ごそうと努力しているんだろうと思った。
私たち二人は本当にファザコンと呼ばれるほどのパパっ子だったから。

着いたとき、パパはすでに棺に納められていたが、
死に装束は私が中国で作らせて来た
茶色のシルクのチャイナジャケットだった。
妹からのものとして(彼女はそのことをもう忘れていたが)
バーバーリーの靴下をはかせたと言っていた。

義理なら来なくていいからね。

そう電話で言われというので驚いていたが、
奥さんも、娘達の心のこもった物で見送ろうと
ちゃんと身につけさせてくれていた。

冬にはいつもあのジャケットを着て出かけたのよ。
梅田に行く時とかは、必ずね。
みんながとてもよく似合うとほめてくれたし、
本人もすごく気に入ってた。
南海ちゃんが贈ってくれたものだったしね。

そう言われたら泣けて来た。

本当は連絡しないつもりだった。
パパからも子供達から連絡がない限り
絶対に電話をするなと言われていたし。
でも妹に、
子供達にとっても親なんだからそれはダメだって説得されてね、
パパの約束を破って電話したのよ。

そう言って奥さんも泣いた。

奥さんの妹は、それでも私たちを責めるように
嫌味な言葉を織り込みながらこの三年間のことを語った。
私は喧嘩するつもりはなかったが、
勝手な解釈で自分たちの都合だけを言って退けることは許せなかった。
この三年はパパも介護が必要な状態で大勢のヘルパーが来てくれていたこと、
それから、時に奥さんの兄弟、その子供達が助けて来たことを聞かされた。
私の「想像にはなくもない」話だったけれども、
最後になってそれを責められたからって、どうにも出来ない。
私たちが電話をしなかったことを責めた。
いや、電話は何度もした。
取り次がれなかっただけだ。
相手は都合のいいようにしか記憶もしていないから、
さんざん言いたいことを言って来た。


私たちの前からパパを連れ去ったのは誰ですか?

パパのために一度だって言わないでいるけど、
言いそうになって飲み込んだ。
でもそれ以外の事実はすべて思ったままを伝えた。
奥さんは、
それについては行き違いだったし、
勘違いだったのよ。
と泣いて私に手を差し出した。
私は彼女を抱きしめると、彼女は声を上げて泣いた。
もちろん、パパを最後まで世話して来たのは、あなただ。
最後まで心から愛して、自分を犠牲にしても
心から尽くして来ただろうことはわかる。

そうは言っても、こんがらがった糸は、
そう簡単にはほどける物ではないことも感じていた。

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暗い話題が続いておりますが、
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