SSブログ

旅人ではない私 [中国日記]

30分かけて書いたものが全部消えてしまった[もうやだ~(悲しい顔)]
パソコンが遅いくせに、マウスの感度がよくて勝手にクリックされてしまったらしい[むかっ(怒り)]

昨日は康復路にてショッピング。
8年前のこのあたりは、生地がメインの市場でしたが
今はデパートのような巨大な建物の中に
6畳ぐらいの小さなコマワリの店が7,8列四方に碁盤の目のように
立ち並んでいます。
前回、前々回もここでオーガンジーの袋を購入。
今回も・・・でも店が見つからない。
マックの近くだから~と重点的に探しても見つからない。
一列ずつ攻めても見つからず一時間経過・・・[たらーっ(汗)]
足は棒になり、グループは分裂。
もうあきらめて戻ろうと母と同行していた通訳に連絡をとり
合流直前でその店を発見。
この場所なんども通ったはずなのになぁ[ふらふら]
子供はハンナ・モンタナの傘を手にご満悦[揺れるハート]
中国での知名度はわからないけれども、メイドイン・チャイナの流出品かなぁ。

その晩は母が講師で痣などを隠すメイクの講習会に同行しました。
実際スタッフに顔に赤痣がある子がいて、
その子はそれを開き直ってもともとメークすらしていない子だったのだけれども
見事にわからなくなりました[ぴかぴか(新しい)]
しかし、その子はきれいに隠れたことが気に入らなかったのだと思います。
気にしていないと見せたかったのかな・・・
自分の出番が終わると、講習中だったのに席をはずし
さっさとメークを落として痣が見えるようにして戻ってきました[がく~(落胆した顔)]
それだけ心の傷なんだろう・・・と、とっさに思ってしまいました。
(この化粧品カバーマークはボランティアとして、
中学三年生までの痣のある子供には無償提供しています。)

すでに旅人ではない私は、家族と一緒のため何不自由なく
当たり前の日常のようにここでも時が過ぎています。



唐の都 [中国日記]

西安は歴史の街。
日本で西安と言ってもみんなあまりぴんとこないらしい。
事実私も10年以上前に初めて訪れるまで知らなかった。
でも唐の都「長安」といえば、歴史で習ったはず。
遣唐使「空海」も訪れた街である。
もともと密教もこの地で受け継がれていたのだ。
空海が持ち帰るまでは・・・

三蔵法師=玄奘三蔵もこの地で般若心経ほかの経典を訳し
それが収められた場所が大雁塔というところ。
これも西安にある。

8年ぶりに大雁塔の慈恩寺に出かけた。
このあたりは以前は古ぼけた塔が観光地としてあるだけだったけど
観光開発されそのまわりはすばらしくきれいになり、
きれいなレストランなども立ち並び、近くには音楽に合わせて水が踊る噴水などもできた。

2日目の晩はそこにできた火鍋屋さんの分店で食事をしたけれども
味もいいけれど、そこはサービスが格別よいことで有名。
そのサービスをあげると、こどもの遊び場完備、
靴磨きサービス、パソコンが数台置いてあり自由に使えるスペースに
極めつけは無料のネイル[るんるん]
子供たちは爪にイチゴやら☆やらハートやらを描いてもらってご満悦[揺れるハート]
サービスってココまで必要なのか?とうれしい反面、疑問も・・・
外に出てすっかり夜だったので昼間に子供たちにも見物させようと
改めてつれていくことになりました・・・

まずは慈恩寺。
気づくと一匹のトンボが、ある社殿の入り口に漂っていた。
まるで待っていてくれたみたいに。
二つぐらい素通りしてしまったのだけれども、観音堂には立ち寄りました。
そこには千手観音。
その後いくつかの社殿に入りお参りを・・・

そして大雁塔・・・7層あってってことは7階まである。
周りを一回りすると「一生平安」と書かれていたので入り口を通り越して一回り。
そこでも一匹のトンボが私の前に止まるように飛んでいた[ぴかぴか(新しい)]
トンボに誘われるように歩く・・・
外人さんには読めないため、そのまま入り口に向かって行ってたので
よっぽど教えてあげようかと思ったけど、英語のグループでもなかったし
目も合わなかったので声をかけられませんでした。
そして母を残して階段を上る・・・上る・・・私も3階になったら息切れに
滝のような汗[たらーっ(汗)]
一休みして・・・写真をとって・・・
この階には仏舎利が納められています。
しかしなんでそのような尊いものが、最上階でなく3階にあるんだろうか・・・
というのが最大の謎[exclamation&question]
5階までふ~ふ~言いながらたどり着いたとき、
上まで上がりきった子供たちが降りてきちゃった。
だめだめ上まであがらないと!!せっかくだし~
上の子がお供して上がってくれました。
そこから一望する町並みは、東西南北ともに8年の歳月の流れを感じました[ぴかぴか(新しい)]

その後は藍田という玉の名産地に出かけました。
高速道路を通ってちょっと遠出しました。
玉というのは翡翠などの中国での呼び名。
実は翡翠は中国では少しも取れなのだそうです。
ミャンマーで掘り出したものを、加工する街で有名なのが藍田というところ。
初めて行ってきました。
それというのも今回10年ぶりにあったのだけれども虎子と呼ばれるお友達。
彼は義兄の昔の彼女の弟で私の子供のパパの友人で・・・(ちょっと複雑な人間関係ですな)
その友人が知り合いの店に連れて行ってくれました。
そこで翡翠をたくさん買いました。
今回は買い物がメインではなかったんだけれども、
うわ~って思うものがいっぱい。
しかも街の石屋が買い付ける卸売りの場所です[揺れるハート]
現金を大してもっていなかったけど、母の懐と相談し買えるだけ買っちゃいました。

そして夜西安の街に戻って食事をした後は・・・
マッサージ[揺れるハート]
今日も違う店へ・・・今回の店はすごくきれいで
お茶も工夫茶をいれてくれるんだけども・・・(別料金)
でもマッサージされてるし飲めない間に冷たくなってるし[ふらふら]
お兄さんたちは、私たちが言葉がわからないだろうと
80分間中60分はずっとおしゃべりをし続けていた。
全然気持ちが休まらない[たらーっ(汗)]
途中でため息はつくし、いらいらする~とほざいているし・・・
ちょっと最悪[バッド(下向き矢印)]
(実際どっかの方言交じりで、半分もわからなかった)
途中変な英語みたいなので話しかけてくるけど、
それもちんぷんかんぷん。
中国語で話して[パンチ]
と言ったら、ようやく少し通じました[ふらふら]
背中に乗っかっていいか?と聞いてきたので
前日の背中の気持ちよさを期待したのに・・・全然気持ち悪かった[バッド(下向き矢印)]
その差は心の問題だろうか???
ちょうどそのころ、子供のパパが迎えに部屋に来ました。
(子供たちは通訳とホテルで宿題です)
・・・あと20分・・・と。それから二人はぴたりとおしゃべりをやめました。

そして20分後・・・
あの人たち60分間ずっとうるさかったよ!と言いつけました。
お金を払うとき、それはマネージャーに伝えられました。
マネージャーは二人も出てきて謝ってきたので・・・
次はそのようなことはない・・・かなぁ。
スタッフはたくさんいるようだしね。

そうして唐の都での日々は楽しく過ぎています[わーい(嬉しい顔)]

マッサージ三昧 [中国日記]

3日目の今日。
昼に打ち合わせなどがあり、身動きがとれないままホテルで仕事のメールを出したり
DMや印鑑作成のための確認作業をしたり・・・
(Over the moonのではなく母の会社の仕事でした)
夏休みで私たちは中国、妹はハワイに出かけてしまったので
メールでハワイとのやり取りまでしないとならない状態でした。
月末から月の初めは忙しいのに忘れてたので
仕事を持ち込んでの夏休みになっています[ふらふら]

とはいうものの・・・
遅めのランチに出かけた後は、私と母は再度マッサージへ!
昨日のかっさは痛かったけど時間にしたら45分ぐらいであっけなく終わっちゃって
背面のみのマッサージだったので物足りなかった私たち。
リベンジでございます[パンチ]
足裏から全身の80分コースをダブルでオーダー。
ついでに私は妊娠中に巻き爪になってしまったので、小刀でカットしてもらい
(前回これでしばらくとっても調子よかった)
母は足裏の角質をを小刀で削り取ってもらった。
腸のマッサージに最後の背面ではなんと中国マッサージ暦10年にして初めて!
背中にお兄さんが乗っかったのでびっくりした[exclamation×2]
正座をしてひざを使ってマッサージ。
のしかかる体重を手で調節してくれているので、ほどよい重さとひざの丸さで
ぐいぐいと背骨が押し伸ばされてすごくきく~
これだけ1時間やって欲しかったほど。
すっかり全身揉み解されてから、西安に来たら絶対食べないと来た気持ちがしないという
私の好きなものベスト3に入る
カオロウ(シシカバブみたいな、やきとりみたいな)と砂鍋を食べに[揺れるハート]
こちらは西安の庶民の味・・・と言われるもの。
母は店の衛生状態をつねに気にするので、中国暦20年にして初めて食しました。
感想は「今までもったいなかった[どんっ(衝撃)]
砂鍋に使われているフンタイと呼ばれるもちもちの麺(マロニーみたいな)を
買って帰らないと!!と通訳に伝えていました。

おなかいっぱいでご満悦なご一行様。
ダイエットはしばし中断でございます。
ココでダイエットは後悔につながりますからね[わーい(嬉しい顔)]

ドラゴン・フライ [中国日記]

二日目の出来事・・・

子供たちはパパのところに泊まってプールに出かけている。
私と母は寝坊してね~ということでお迎えは12時。
会社のオフィスと研修室と撮影スタジオがあるビルに立ち寄った。
美容の短期大学を卒業したての子達が、互いにメークやヘアーを作って
カメラマンが撮影をしていた。
それはショーのスタイルでつけまつげが孔雀のようだったりもした。
意外に素敵で見入ってしまった。
それから研修室では30人ぐらいのスタッフがガラスに投影されたパソコンの資料を基に
講義を受けていた。
これも日本の美容室でここまでできるところはそうないと思う・・・
現在12店舗が営業中。
関心しきりといった感じでオフィスを後にして、この後は日本料理店へ。
ここは私の知り合いの店から分かれたところで中国人の店。
店に入ったらあまりに斬新なデザインでびっくりした。
オーストラリア人が設計をしたのだそう。
デザインだけで1500万円なり。全然日本料理を感じない空間でした。
お料理は・・・何料理?って味でした。
(知り合いの店は日本人経営なので、大体は日本の味がいただけます。
ギンダラ定食は絶品で日本でもあんなにおいしい照り焼きは食べたことがない。)
その店を出たとき・・・びっくりした[どんっ(衝撃)]
その入り口に私を待ち構えていたかのように100匹ぐらいのドラゴン・フライ[ぴかぴか(新しい)]
入店するときにはいなかったのに・・・

そしてその後予約してもらったオイルマッサージの店へ・・・
これが痛いのなんのって[パンチ]
背中はあざだらけとなっております[もうやだ~(悲しい顔)]
かっさという背中を牛の角か何かでできたへらでこすりまくったあと、
吸い玉を吸い付かせたままこする、こする、こする[パンチ]
これでもか~という痛みに耐えたのは・・・脂肪が押し流されそうな気がしたからですが
後から背中をみてびっくり・・・[がく~(落胆した顔)]
シャワーは4時間禁止、辛いもの禁止・・・と言いつけられましたが
夕食は火鍋を招待されているのでそうもいかず。
辛いものを食べ続けました。

そして今日は、当然のごとく下痢です[ふらふら]

何かあって当然? [中国日記]

西安には一時間遅れての到着。
子供たちはパパとおじさんと再会。
私たちは会社の車でお迎えがあったのでそちらに乗ってホテルへ。
その後夕食に北京ダッグを食べにレストランへ。
そこには、[眼鏡]さんも待っていましたが、人数が多すぎて、私たちの個室には入らず
別のテーブルへ。
上の子も久しぶりに店長の息子と再会したものの
恥ずかしがって二人とも会話をしない。
まわりが助けるけれども、互いに顔を背けたまま。
それでも彼はパパに言われて「北京ダッグ」をひとつ作って上の子にあげたりと
してくれました。
しばらくして、子供たちが遊びに行って・・・戻ってくると
「うちに夜遊びにおいで~」って言われたよ・・・と上の子が恥ずかしそうに言いました。
残念ながら彼はその翌日からサマーキャンプでモンゴルへ1週間行くというので
次回会えるのは私たちが帰る前日になるかなぁ。
しかし、今回はいとこの男の子が2歳になっているので
ちょっと彼とも遊べるようになっていた。
この子はとても静かでかわいい[揺れるハート]
(今も子供たちは3人プラスパパで食事にでかけています)

そして夜ホテルに戻って・・・
私はちびと。おばあちゃんと上の子の部屋割りだけれども、
子供たちは朝からプールに行きたいからと、パパの家に行く!と言って
さっさと付いて行ってしまいました[たらーっ(汗)]
私はパソコンをつなげようと挑戦したけれども、何度やってもできない。
しかもこのパソコンはむかつくほど遅いし[ふらふら]
あきらめて寝ることにしました。

夜中に熱くて目が覚めて・・・今何時?と思ったら時計もない。
携帯を手に取るとなぜか電池切れ。来る直前に充電してきたのに[ダッシュ(走り出すさま)]
なんだか変だな・・・
とりあえず電気・・・つかないし[たらーっ(汗)]
とりあえず充電・・・電気やっぱりない・・・
クーラーもつかず。
しかたがないのでそのまま寝ました。
朝になってハウスキーピングがノックしたので「停電ですか?」と言ったら
修理します・・・と、でも廊下などはちゃんとついてました。
それからまた寝て起きたときには電気は復旧してました。

やっぱりこんなことだろう。何かあって当然と思ってるから、現実もついてくるのか?
10年前は停電は日常茶飯事だったけど、ホテルだけは停電しなかったんだけどねぇ。
そんなこんなの幕開けでした。

鳴り物入りの中国入り? [中国日記]

30日の早朝の便で上海を経由し、西安入りしました。
今回の表向きの理由は「夏休み」です。
真の理由は神の味噌汁[たらーっ(汗)]なんてね。

昨日のフライトも結構大変でした。
上海では入国検査後に一旦国際線の出口から出されて(スーツケースとともに)
国内線の窓口を探し発券してもらってから、再度手荷物検査などなど。
私の30キロぐらいすでにあったスーツケースはもちろん開けられました[ふらふら]
粉ミルク8缶がお土産で入っていたのだけれども、全部振って確かめてました。
そんなんでいいの??と逆に思いましたが・・・
多分あのミルク関係の事件の後からは乳製品の輸入に関してとてもうるさいと聞いていたので
没収されるか?と心配になりましが、検査担当は女性で子供たちの顔を見ると
何も聞きませんでした。
それにしても、今回の中国国際航空のチケットは西安行き(上海経由)というものでしたが
一旦外に出されるとは知りませんでした。
東方航空の西安行きも上海経由だけれども、荷物は西安まで届きます。
人間だけ入国手続きをしたら、中の通路を特別にとおしてまた飛行機に戻してくれます。
だから上海では1時間ぐらいのトランジットとなります。
でも今回は2時間あったので、上海空港をはじめてゆっくり歩けるか?と思ったのに
外に出される、国内線のカウンターを探し発券してもらう、荷物が開けられることになって
チケットは一度預かられてしまったり・・・
私のひどい中国語ではぎりぎりでした[あせあせ(飛び散る汗)]
一人だったら涙目になってたと思います。
結局時間は大して残らず、でも間に合ってよかった~という話。
そうしてようやく飛行機に乗り込んだら、安心して眠くなって家族全員が眠ってしまいました。
ふと目が覚めるとフライト時間を20分ぐらい過ぎていました。
飛行機乗り間違えたかとあせりました[たらーっ(汗)]
心配になってきょろきょろ始めたとき、ようやくアナウンスが・・・
悪天候のためフライトが遅れます・・・と。
飛行機に乗り込んでからこんなの初めて・・・それまで明るかった空が暗くなっていました。
雨はまだないけれども、きっと上空では雷が鳴り響いているだろうなぁ・・・と思いました。
キャビンアテンダントがおおあわてでランチを配り始めました。
食べ初めてすぐ「15分後にフライトします」とアナウンスが・・・
どう考えても子供たちは15分じゃ食べられないかも~と思っていたら
アナウンスから5分後に大慌てで片付けに来ました。
テーブルがいけないのだろうと思ったので、テーブルをしまってひざに乗せようとしたら
笑顔の男性のアテンダント(というのか?)の手がトレーをひょいと片付けてしまった[もうやだ~(悲しい顔)]
メロン食べたかったんですけど、おなかすいてたからせめてパン取っときたかったんですけど・・・
それを教訓として子供たちに「トレーを握り締めてひざにすぐに置きなさい」といって
テーブルだけしまいました。
子供たちのトレーは無事で、おばさんアテンダントが来たときにも
「ゆっくり食べなさい」と見逃してくれました。
取り上げられるのがいやで足の下にトレーを隠してた人もいましたが・・・
ちょっとそれは気持ち悪くないのかしらねぇ。
フライトするころには窓の外は夕方のように暗く(13半ごろだった)大雨になっていました。

そんなこんなで上海では嵐によって1時間ほど軽い足止めを食らわされました。
あれ?全然テーマと違う・・・かな??

帰国後のメッセージ [中国日記]

帰り道、永遠と見せられた[眼鏡]さんの夢。

うとうとしている状態なので、質感も妙にリアルだった。

並行次元に飛行機にのって飛んでいっちゃったのかもしれない[モバQ]

実物を目の前にして、どうでもいいや~勘違いだった![あせあせ(飛び散る汗)]と思ったり、

夢を見ては、どうしようもなく好き![ハートたち(複数ハート)]と思ったり、

同じ1日というのに、あわただしい心の動きだ。

普通に考えたなら、私は馬鹿でしかない。

近所の人にでも打ち明けたなら、私は病気だとすぐに広まることだろう[爆弾]



なのに、私はここで不特定多数の人が見る所に

こ~んなことを馬鹿正直に書いてしまっている。

いや、書かされているのだ。

読む人によっては、馬鹿じゃないの~!って思うだろうが、

またある誰かにとっては必要なメッセージになるのかもしれない。

(・・・だといいな~って思う。)



帰国してその翌日、私は気功クラスに参加した。

友人の某有名チャネラー(みなさん御存じですね:笑)と帰りにお茶をした。

「中国はどうでしたか?」と声をかけてくれた。

私はここの日記に書いた内容をかいつまんで彼女に話した。

そして、はなっつらの人参はイミテーションだったに違いない!と

私がいった時、宇宙からのメッセージとしてその言葉をかき消してくれた。

実際、私は帰りの飛行機でさんざん見せられた夢でも

私が彼をもう手放そう・・・と思っていることを変えることはできないと思っていたし、

もう2度と行かないかもしれないという思いは消えていなかった。

どんなに彼のスピリットが私のスピリットを愛していても

3次元の現実にならないのなら、そんなものはいらない!と心から思ったのだ。

だから、私はいっそのこと、この話をした人みんなが

私のあきらめ?がつくように、

「あ~そうだね。宇宙は方針を変えましたね~!!」

とか都合よく言ってくれたりするものだと思っていたのだ。

が、彼女は言った。



「あなたはイミテーションにはだまされません。

本物だからあなたの心が動いたのです。

スピリットと現実とのタイムラグ=時差があります。

それを調整するために、いろいろと今回は働きました。

だから今回は、本物は少ししか見せなかったのです。

仕事のできる彼であるとか、ここでの現実を見る必要もありました。

次に行くと、また違った展開になります・・・」



え=!!次もあるのか???



実は、私は中国滞在中も某有名ミディアム(みなさん御存じですね:笑)とも

スカイプで話をしている。

その時にも、私がもう帰りたい!!彼は偽物だ~!!と言っている時にも、

彼女も同じような言葉を言ってくれたのだけど

その時だって、「やめちゃえば~」とは言ってくれなかったので

慰めてくれているんだわ~と都合よく聞き流していました(ごめん)



3度同じメッセージが来ないと信じないという、疑い深い私も

ようやくみなさんのあたたかい友情あってのメッセージを受け止めることが

出来ました。



この場をおかりして・・・お二人には、本当にいつも感謝しております。



ってことはだ・・・次もあるのか??



水戸黄門のように続く、単発ではない、連続もの・・・と言われたあのメッセージ。

あの長寿番組ほど続くなら、私は途中で入れ替わらないとならないが(笑)

出来ることならエピソード1とかってことで、

早めに切り上げていただけないものかしら?・・・と思っている[時計]

飛行機の中で [中国日記]

飛行機に乗り込んだ。

座席は真ん中で窓側には中国人男性、

通路側には神経質そうな日本人男性。

JALとのコードシェア便のため、上海からはJALの乗務員も乗ってくる。

それまでは国内線の乗客も同乗しているし、乗務員も中国人のみ。

朝ごはんは、お粥だった。

あんまりおいしくない・・・

後は寝る。

うとうととしては[眼鏡]さんの夢を見る。

目が覚めて不思議に思う。

何でようやく帰るよ~というときに、また[眼鏡]さんの夢なんだ?

またうとうとして・・・また[眼鏡]さんの夢を見る。

どうしてなんだ??

本でも読もう。手持ちの本は読み終わってしまったので

座席に置いてある飛行機の備え付けの読み物(中国語)を読む。

頭をとっても使うのですぐに眠くなり、またうとうととしてしまう。

[眼鏡]さんの夢を見る。

もう寝ないようにと、コーヒーをもらう。

それなのに、またうとうととして・・・[眼鏡]さんの夢を見る。

もう絶対に起きていることにしよう!



上海で出国手続きをして、また手荷物検査をして

また飛行機に乗り込む。

同じ座席。同じお隣さん。

ずぐにうとうととして・・・また[眼鏡]さんに会う。

飲み物をもらう。

JALの日本人乗務員なのに、私は中国人に見えるのか?

隣の日本人には日本語で話しかけ、私には中国語で話しかけた[モバQ]

それから、おいしくないランチを食べて・・・また、うとうとすると・・・

[眼鏡]さんなのだ!

さっきまで、本人を目の前にしていても

何も感じることのなかった私の心が疼く。

どうしようもなく、かけだしてしまいそうなほど、

好きで好きでたまらない。

何で??[モバQ]



私の妄想なのか?

私の錯覚なのか?

私はどこか壊れている??



そんなことはない。

帰ってきた、あの日の[眼鏡]さん。

きっと、[眼鏡]さんのスピリットが見せてくれているのだ。

私が手放そうとすると、私を追いかける。

私が追いかけようとすると、まぼろしだったように消える。

追いかけっこにかくれんぼ・・・この繰り返しだ。



私はなんだかとても、やられた~と思った。

笑いがこみ上げる。

現実世界の私たちの意思を超えた何か・・・

スピリットのたくらみを感じた。

宇宙は常に私の見方だ。

さっきまでの、この6日間の憂鬱(まさにそうだった!)は

嘘のように消えて、私は生かされているのだと思った。

次はどうなる??

私はすでにこの状況をも楽しんでいる・・・[眼鏡]



最後の1日 その弐 [中国日記]

夕方になって、オーナーたちと食事をするためにレストランに来るように言われていた。

付添ってくれていた店長は、遅刻したくない。といって、ずいぶんと早めに出発をしたが

道路は大渋滞で、結局15分ほど遅刻した。

火鍋の店の個室に通されると、オーナーと奥さんとオーナーの秘書と

[眼鏡]さん、オーナーの義理のお姉さん(彼女も10年前からの知り合いだ)

オーナーの子供が座っていた。

私の席はいつでも[眼鏡]さんの隣と昔からなぜか決まっているのだが、

一人見知らぬ人がいた。

その男性が私が[眼鏡]さんのとなりに座ろうとしたら、

そのもうひとつとなりの席をすすめて椅子を引いた。

なんだかよくわからぬままに、私はすすめられた席に座った。

後からその男性は本部の接客担当ということで元警察官らしい。

なんの仕事をする人なのか意味不明だったけども。

この食事の席も私が日本から来ているから~

ということで用意をしてくれたのだけれども、

形ばかりの接待であり、私は申し訳ないが、ちょっとうんざりとしていた。

みんなは中国の笑い話を始めたが、日常の会話がやっとの私には

その手の会話は理解できず、またそれを通訳できる人もいなかった。

翌日の朝は6時半にはホテルを出発して8時20分の飛行機に乗る。

国際線と言っても、出国手続きは上海で行うため、国内線と同じく

かなりぎりぎりで大丈夫なのだ。

早くついてしまったなら、荷物検査の職員がい

ないので

入ることもできなかったりもする。(前回は遅刻してきたし)



[眼鏡]さんとオーナー秘書が送ってくれることになっている。

朝6時15分に、二人は迎えにきた。

私は車の後部座席に座って、考え続けた。

もうこれが最後になるだろう。

次は子供たちが来ない限り、私は一人ではもう来ることもないだろう。

私の中国に来る仕事は完了したに違いない・・・



本当に今回の中国滞在では、夜遅い到着で、朝早い出発にも関わらず

送迎は、[眼鏡]さんがしてくれた。(オーナーの秘書もだったけど)

4日間のうち、2日間は[眼鏡]さんが付き添ってくれ、あと2日間は

古い友人たちが付き添ってくれた。

みな忙しいのに、私を日本からのお客様(母は仕事のパートナーであるので)

ということで接待をしてくれたのに違いない。

私の仕事のために、みなさんの忙しい時間をさいてくれたことには

心からの感謝をしつつも、なんだか自分がやっかいものだったように思えて

居心地が悪かった。

もうそんなのはいやだ。

図々しくなりきれない小心者の私には、今回の状況は、かなりの苦痛だった。

空港では知りあいの警察官の仲間が待機してくれていた。

チェックインカウンターの前で荷物検査があるため、

多くの荷物を持っている私の付添を[眼鏡]さんたちはできない。

[眼鏡]さんと秘書に「ありがとう!」と言って手を振って、

荷物を押して私は先に歩く警察官の後を追った。

何の感傷的な気持ちもわいては来なかった。

カウンターで荷物を計ると48キロもあった。

小さい方のスーツケースを手荷物にした。

警察官にも挨拶をして、私は待合ロビーに向かった。

搭乗までにあと一時間。その後上海で出国審査をして、それから成田へ。

ようやく帰れる!でも成田までは、あと6時間半はかかるのだった。




最後の1日 その壱 [中国日記]

最後の一日、私は10年前から知る一人のスタッフ(現在店長)と

買い物に出かけた。

こんな書き方をするというのも、彼は途中入社であったし、

10年前にはすでに結婚をしていたので、一緒に食事に行くとか、

遊ぶことなどもなかったからだ。

知り合い程度で、友人というくくりにも入らない人だった。

彼はその日の朝ホテルまで迎えに来ると、

「僕のこと覚えていますか?10年前しばらく一緒にお店で働いたでしょう?」

と遠慮がちにそう言った。

もちろん忘れてなどいない。

なかなかの美男子だったし、その後だって実際は何度も会っているし、

前回[眼鏡]さんと待ち合わせをしていた店の店長だもの。

3か月前にだって会ったじゃないの。

彼は出勤日だったので[眼鏡]さんが仕事をどうしてもあけられないので電話をして私の顔を知る人ということで、彼に私の「つきそい」を頼んでくれたのだ。

彼も仕事の内容が変わるけれど、仕事として引き受けてくれた。

なので逆に私にとっては、あれこれわがままを言いやすい状態でもあった。

彼は車を修理中ということで、タクシーで買い物をした。



大通りを渡る・・・信号などない。

4車線のはずだけど、6車線ぐらいになって車は走ってくる。

その一台一台をすり抜けるように渡る。

10年前に教えられたこと・・・決して走ってはいけない。

運転手の予想に反した動きをしたなら、ひかれる。

だからゆっくりと、よけて歩くのだ。

車も人をぎりぎりよけていく。

西の大通りを渡る。

最後の一車線を渡るとき、行こうと思ったら止まるように言われた。

その時私よりずっと右から渡ろうとしていた女性が二人

アイヤ~と大声をあげて吹っ飛んだ。

腰をさすって転げている。

出血などはないようだけど、ひっかけられてしまったらしい。

ちょうど向かい側に警官がいて、車は止められて

女性たちにも声をかけていた。大きなけがではなかったようで安心したが、

もしかしたら、それはちょっとの差で、私だったかもしれない・・・

道を渡るのも命がけである[あせあせ(飛び散る汗)]




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。