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修行 [スピリチュアル]

先日クラスの帰り、先生にお食事に誘っていただいた。
先生は、「どうだい、昨日、今日と、随分つらかったろう?」と私に聞いた。
私は正直に「あ〜そんなにつらいことはありませんでした。」と
笑顔で答えてしまった。
すると先生は、正面に向き直って、
「痛みを与えるために、こちらもがんばってるのに、痛くなかった、
つらくなかった、と簡単に言われちゃうと、がっかりだなぁ。
みんな、とても辛くて死にそうでした、とか言うのになぁ。」
と、つぶやくように言った。それから続けて、
「痛みを感じないと気づきは起きない。変容とは、まず痛いものだ」と言った。
私はそれを聞いて自分の答えを「まずかったなぁ」と思ったのだけれども、
いつもブログを読んでくれている皆さんには、
「痛みをさっさと忘れてしまう奴だから」
と、理解してもらえていることだろう(笑)
そう、私の場合、痛みを感じない訳ではなく、
その時点では痛いと思っても、
いつまでも痛いと「思い続けていられない」のだった。
(本当に忘れっぽいんだよねぇ)
また常にその「痛み」が、
後からどんな笑い話に変わるのかということまで、
すぐに考えてしまうという、
大阪商人並みの「転んでもタダでは起きない」という
「ユーモア」?を大事に生きている(笑)

「期間限定」

私の場合「痛み」も期間限定として味わえば
それもまた楽しい笑い話のネタと思えてしまうんだもん。


確かにクラスの中で、先生は私のバツについても度々触れた。
でもクラスの最後に、
「お互いの霊的レベルが違いすぎて、どうしても合わせることが出来ないなら、
離婚という勇気ある撤退も必要だよ。その点、あなたは懸命だったよ。
無駄な時間を費やさずに、次に行くチャンスを得たのだからね。」
そう言ってくれたとき、ちょっとうれしくて目が潤んだ。
私を理解してくれようとしたことに、反射的に感謝をしてのことである。
(まず、私のエゴはここにあるんだろうね:笑)

またテーマも常に「死」が絡んでいたことから、
父が他界したという話も含み進んだことから、
先生は私に「つらかったろう?」と声をかけてくれたのかもしれない。
やっぱり、私は「ねじが緩い」のかもしれない(笑)
痛みを感じていない訳ではないの!と言った所で、
きっと、先生が思うようには、どこにも痛みを感じていない。
いや、初めから「痛いものである」という認識があるから、
こんなのは痛みではないと、思うのかもしれない。
しかし、よい生徒であろうとすればするほど、おかしな受け答えになり、
悪い生徒にならないようにすればするほど、言葉を見失う(笑)
先生との会話は、思考を止められ、心が揺れる、終止そんな感じだ。
何を質問されているのか、理解するだけでやっと。
質問の意図がわからず、いつも考えすぎてしまう。
先生の知識の多さ、深さを思えば、
どういう意味の質問だろうか?何を答えさせたいのだろう?
と頭が混乱する。
今まで学んだことが、つい邪魔にも感じ、
心で感じることを直接言葉にしても良いのか、常に戸惑う。
先生の質問の「言葉の難解さ」が、
カバラ的意図なのか、それとも私の理解力不足なのか、
いつもわからないまま、
私はここで「私の苦手な修行」をしているんだろうな、と思った。
そう思えば、十分辛く、痛いのかもしれない(笑)

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so-netのブログのテーマには、
「スピリチュアル」というものがないので
心の健康?と思って「健康」にしていましたが、
他の方の内容を見て、う〜ん[あせあせ(飛び散る汗)]
ちょっと場違いなことにさっき気づきました。
大病を患ってないし、ダイエットも成功しない怠け者だし[ふらふら]

自分を占い師とは思っていないけど、「占い」には、
スピリチュアルなブログが多数参加されているようなので
テーマを変更いたしました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。





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